ほんいんぼうさんさ【本因坊算砂】
[1558〜1623]安土桃山・江戸初期の僧・囲碁棋士。京都の人。本因坊家の始祖。本姓、加納。幼名、与三郎。日海と称し、寂光寺の塔頭 (たっちゅう) 本因坊に住んだ。若年から碁・将棋の達人で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた。最初の名人碁所 (ごどころ) 。
ほんいんぼうしゅうさい【本因坊秀哉】
[1874〜1940]囲碁棋士。東京の生まれ。本名、田村保寿。19世本因坊秀栄の門下に入り、21世本因坊を継いで秀哉と号した。本因坊の名跡を開放して実力時代への門を開き、最後の世襲制囲碁名人となった。→本因坊
ほんいんぼうせん【本因坊戦】
囲碁の七大タイトル戦の一。昭和15年(1940)創設。タイトル保持者とリーグ戦優勝者が七番勝負で決勝戦を行い、勝者が本因坊の称号を手にする。連続10期以上タイトルを獲得した棋士は現役で、連続5期または通算10期獲得した棋士は現役で60歳以上に達したときまたは引退時に、名誉本因坊を名乗ることができる。
出典:gooニュース
本因坊挑戦者決定戦 余正麒八段「最後際どかった」 一問一答
第79期本因坊戦本戦トーナメントの挑戦者決定戦で芝野虎丸名人を破り、一力遼本因坊への挑戦を決めた余正麒八段。関西棋院所属棋士としては62期ぶりの本因坊戦挑戦となる余八段は対局後、「本因坊戦は昔から憧れてきた棋戦。挑戦できてうれしい」と喜びを語った。主なやり取りは以下の通り。【最上聡】――初めて本因坊戦の挑戦権を得ました。関西棋院の棋士としては62期ぶりの挑戦となります。
本因坊戦、余八段が挑戦者に 初挑戦、関西棋院所属は62期ぶり
2009年にプロ入りし、13年に当時史上最年少の18歳2カ月で第69期本因坊戦リーグ入りを果たした。7大タイトル戦番勝負には、王座戦と十段戦に計5回出場しているが、いずれも敗退している。 今期本因坊戦五番勝負は5月14日、東京都台東区の東京国立博物館で開幕する。【武内亮、最上聡】
余正麒八段が初の本因坊戦挑戦権獲得、芝野虎丸名人下す 一力遼本因坊との5番勝負は5・14開幕
一力遼本因坊(棋聖・天元=26)への挑戦権を争う、囲碁の第79期本因坊戦挑戦者決定戦、芝野虎丸名人(十段=24)対余正麒八段(28)戦が18日、が東京都千代田区「日本棋院東京本院」で打たれた。対局は午後4時44分、238手までで白番の余が中押し勝ちし、初めて本因坊戦の挑戦権を獲得した。
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