出典:gooニュース
ライオン宰相・濱口雄幸の直筆に見る凶弾の痛苦 国立国会図書館で閲覧できる死への道程
1929年に59歳で立憲民政党初の首相となり、その風貌と厳格な性格からライオン宰相と呼ばれた。金本位制への復帰(金解禁)や軍拡の抑止などを行うなかで、1930年11月14日に東京駅で腹部に銃撃を受けたことで知られる。一命を取り留めたものの、そこから体調が万全に戻ることはなく、翌1931年8月26日に息を引き取った。
“昭和の名宰相”の演説・スピーチと比較する
半世紀を超える永田町取材に関わっている政治評論家の小林吉弥氏。この間、佐藤栄作から岸田文雄まで26人の総理大臣を取材してきている小林氏が“別格”と評すのが田中角栄だ。決断力、先見力、構想力、勝負勘はもとより、“角栄節”と言われた演説・スピーチで大衆の心を掴んできたのは周知のことだ。裏金問題では玉虫色の答弁を繰り返し、内閣支持率は変わらずの低空飛行を続ける、岸田首相と何が違うのか。小林氏が4月
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