いちえい-いちじょく【一栄一辱】
人は社会の状況などによって、栄えることもあれば、恥辱にまみれることもあること。栄えているときは戒めとして、衰えているときは慰めの語として用いる。また、人の世のはかなさをいう。▽「辱」ははずかしめを受けること。「一」はあるときは、の意。
いちご-いちえ【一期一会】
一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること。生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意。もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことをいう。▽千利休の弟子宗二の『山上宗二記やまのうえそうじき』に「一期に一度の会」とあるのによる。「一期」は仏教語で、人が生まれてから死ぬまでの間の意。
いっこく-せんきん【一刻千金】
わずかな時間が千金にも相当する意。時間の貴重なことのたとえ。貴重な時間、よい季節や楽しいひとときなどが過ぎ去りやすいのを惜しんでいう語。また、時間を無駄に過ごすのを戒める語。▽「一刻」はわずかな時間。もとは出典によって、春の夜のひとときが千金にも値するほどすばらしい意。「千金一刻せんきんいっこく」ともいう。
いっすんの-こういん【一寸光陰】
ごくわずかな時間のこと。ほんのわずかな時間も無駄にしてはいけないという戒めの語。▽「一寸」はちょっと・わずかの意。ごく短いことのたとえ。「光陰」は時間や年月の意。「光」は昼、「陰」は夜とも、また「光」は日、「陰」は月ともいう。「一寸の光陰軽んずべからず」という慣用句として用いられることが多い。
いんが-おうほう【因果応報】
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
うい-てんぺん【有為転変】
この世のすべての存在や現象は、さまざまな原因や条件によって常に移り変わるものであり、少しの間もとどまっていないこと。また、この世が無常で、はかないものであるたとえ。▽もと仏教語。「有為」は因縁(原因や条件)によって生じたこの世の一切の現象。「ういてんべん」とも読み、また音が転じて「ういてんでん」と読む場合もある。
うと-そうそう【烏兎匆匆】
歳月のあわただしく過ぎ去るたとえ。▽「烏兎」は歳月・月日の意。太陽には三本足のからすが棲すんでおり、月にはうさぎが棲んでいるという古代中国の伝説による。「匆匆」は急ぐさま、あわただしいさま。「匆匆」は「怱怱」とも書く。
えいえい-むきゅう【永永無窮】
いつまでも永遠に果てることなく続くさま。長く続いてきわまりないさま。時の果てしなく長いたとえ。▽「永永えいえいとして窮きわまり無なし」と訓読する。
えいこ-せいすい【栄枯盛衰】
栄えることと衰えること。栄えたり衰えたりを繰り返す人の世のはかなさをいう。▽「栄枯」は草木が茂り盛んなことと枯れしぼむこと。転じて、人や家門などの繁栄や衰退をいう。
えいすい-ふきゅう【永垂不朽】
名声や業績などが末長く伝えられ、決して滅びないこと。▽「垂」はたれる意から、後世に示し伝えること。「不朽」は名声や業績が朽ち果てない、後世まで伝わり残る意。
えしゃ-じょうり【会者定離】
この世で出会った者には、必ず別れる時がくる運命にあること。この世や人生は無常であることのたとえ。▽仏教語。「定」は必ずの意。
おうこ-らいこん【往古来今】
綿々と続く時間の流れ。また、昔から今まで。▽「往古」は過ぎ去った昔。「来今」は今から後。『淮南子えなんじ』斉俗訓せいぞくくんでは「往古来今、之これを宙と謂いい、四方上下、之を宇と謂う」とあり、時間と空間の限りない広がりをいっている。
かいろ-こうり【薤露蒿里】
「薤露」「蒿里」は葬送のときにうたわれた挽歌ばんかの名。転じて、人の命のはかないことのたとえ。▽「薤露」は、にらの上におりた朝露の意。乾きやすく落ちやすいことから、人の命のはかなさのたとえ。「蒿里」はもと中国山東省の泰山の南にある山の名。人が死ぬとその魂がここに来るとされる。転じて、墓地の意。秦しん末の田横でんおうが漢の高祖劉邦りゅうほうに仕えるのを恥じて自殺したとき、悲しんだ門人が作ったという二編の楽府の詩に基づく。
かざん-たいれい【河山帯礪】
永久に変わらない堅い誓約のたとえ。また、国が永遠に栄え安泰であるたとえ。たとえ広い黄河が帯のように細くなり、高い泰山たいざんがすりへって砥石といしのように平らになるようなことがあっても、永久に変わることはない意から。▽「河」は黄河のこと。「山」は泰山の意。「礪」は砥石の意。
かふく-いふく【禍福倚伏】
福の中に禍が潜み、禍の中に福が潜むように、災いと幸せは順繰りにおとずれるものだということ。▽「禍福」は災いと幸い。「倚伏」は禍が福のもとになったり、福が禍のもとになったり、禍福が互いに因果的に生じること。「倚」は寄り添う、また、ちなむ、原因となる意。「伏」は潜む意。
かふく-とくそう【禍福得喪】
災い、幸い、成功、失敗。災いに遭ったり、幸いに出会ったり、成功し出世して地位を得たり、地位を失ったりすること。▽「得喪」は成功と失敗。また、出世して高い地位を得ることと地位を失うこと。
きか-かきょ【奇貨可居】
好機はうまくとらえて、利用しなければならないというたとえ。珍しい値打ちのある物は貯えておいて、将来値が上がってから売ること。▽「奇貨」は珍しい価値のあるもの。転じて、絶好の機会のたとえ。「居」はたくわえる、手元に置く意。一般に「奇貨きか居おく可べし」と訓読を用いる。
きっきょう-かふく【吉凶禍福】
幸いとわざわい。よいことと悪いこと。また、めでたいことと縁起の悪いこと。
きゅうねん-るいせい【窮年累世】
自分の一生から孫子の代までも。▽「窮年」は人の一生涯。「累世」は子々孫々の意。「年としを窮きわめ世よを累かさぬ」と訓読する。
こうき-とうらい【好機到来】
またとない、よい機会がめぐってくること。絶好の機会に恵まれること。▽「好機」はちょうどよい機会、またとない機会のこと。「到来」は時機・機会の来ること。
こおう-こんらい【古往今来】
昔から今に至るまで。昔から。▽「古往」は昔。いにしえ。「今来」は今に至るまで。「今来」は「きんらい」とも読む。また、「今来古往こんらいこおう」ともいう。
こし-たんたん【虎視眈眈】
強い者が機会をねらって形勢をうかがっているさま。とらが獲物をねらって、鋭い目でじっと見下ろす意から。▽「虎視」はとらが獲物をねらい見ること。「眈眈」はとらが見下ろすさま。ねらい見るさま。
しょうじゃ-ひつめつ【生者必滅】
この世に生を受けた者は、必ず滅び死ぬものであるということ。人生の無常をいう。▽仏教語。「生者必滅、会者定離えしゃじょうりは世の習い」(『平家物語へいけものがたり』)のように、会者定離と対にして用いられることも多い。
しょぎょう-むじょう【諸行無常】
この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないこと。人生の無常をいう仏教の根本的な考え。▽仏教語。「諸行」は因縁によって生じた、この世の一切の事物。
じごう-じとく【自業自得】
自分の行いの報いを自分が受けること。一般には悪い報いを受ける場合に用いる。もとは仏教の語で、自分のした善悪の行為で、みずから苦楽の結果を招き受けること。▽「業」は行為。
じゅうねん-ひとむかし【十年一昔】
世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。十年という年月を区切りとして、それ以前は昔のように思われるということ。
じょうしゃ-ひっすい【盛者必衰】
この世は無常であり、勢いの盛んな者もついには衰え滅びるということ。この世が無常であることをいう。▽仏教語。「盛者」は「しょうじゃ」「しょうしゃ」とも読む。『平家物語へいけものがたり』の冒頭の「…沙羅双樹さらそうじゅの花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」の句は有名。
せうん-りゅうたい【世運隆替】
世の中のなりゆきが、時代が移るに従い、盛んになったり衰えたりすること。▽「世運」は時代のなりゆき、世の回り合わせ。「隆」は盛んになること。「替」はすたれる、衰えること。
せんざい-いちぐう【千載一遇】
滅多に訪れそうもないよい機会。二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態。▽「載」は「年」に同じ。「一遇」は一度出会う。「遇」は思いがけず出くわす。千年に一度偶然訪れるくらいの機会という意味。
ちょうけん-てんじつ【重見天日】
暗い状況から抜け出すこと。悪い状態から脱却し、再びよいほうに向かうこと。▽「重見」は再び見る意。「天日」は太陽のこと。「重かさねて天日てんじつを見みる」と訓読する。
ちょうせい-ぼし【朝生暮死】
生命のきわめて短いこと。人生のはかないことのたとえ。▽かげろうの類などが朝に生まれて夕べには死ぬことから。「朝あしたに生うまれて暮くれに死しす」と訓読する。
てんちょう-ちきゅう【天長地久】
天地の存在は永遠であること。天地が永久であるように、物事がいつまでも続くことのたとえ。▽「天てんは長ながく地ちは久ひさし」と訓読する。
てんばつ-てきめん【天罰覿面】
行為の結果がたちどころに現れること。悪事を働くと、その報いとしてすぐさま天が罰を下すこと。▽「天罰」は天の下す罰。「覿面」は、ある事柄の効果や報いが目まの当たりにすぐ現れることをいう。
とそう-うひ【兎走烏飛】
歳月のあわただしく過ぎ去るたとえ。月日の速く過ぎるたとえ。▽「烏」は日(太陽)、「兎」は月を意味し、転じて、月日・歳月のたとえ。太陽に三本足のからすがすみ、月にうさぎがすむという中国古代の伝説による。「烏飛兎走うひとそう」ともいう。
なんざん-ふらく【南山不落】
永遠に崩れ落ちないこと。城や要塞ようさいなどが非常に堅固で、陥落しがたいことを述べた言葉。▽「南山」は中国の長安ちょうあんの南にある終南山しゅうなんざんのこと。堅固で崩壊しない物事のたとえに用いられる。「不落」は陥落しないこと。
ばんこ-ちょうせい【万古長青】
永久に変わらないこと。青々としていつまでも変わらない意から。▽「万古」はいつまでも。永久に。「長青」は松の葉がいつも青々として、とこしえに変わらないこと。
ばんせい-ふかん【万世不刊】
長く伝わって、いつまでも滅びないこと。永遠に残ること。▽「万世」は永遠・永久の意。「刊」は削る意。「不刊」は滅びないこと。磨滅しないこと。昔は竹や木に漆で文字を書き、誤りや不要な部分は削り消したことからいう。
ひか-らくよう【飛花落葉】
絶えず移り変わるこの世の、無常なことのたとえ。春に咲く花も風に吹かれて散り、青葉もやがて枯れ落ちる意から。
ひゃくさい-むきゅう【百載無窮】
永久きわまりなく無限なこと。天地は永遠に不変きわまりないこと。▽「百載」は「百歳」に同じ。百年、転じて、永遠に、永久に、長くの意。「無窮」はきわまりないさま。果てしがないこと。永遠。
ひゃくせい-ふま【百世不磨】
永久に消えずに残ること。不朽。いつまでも消滅しないこと。▽「百世」は百代、長い年月の意。「不磨」はすり減らないこと。
ひゃっこ-ふま【百古不磨】
ずっと後の世まで滅びずに残ること。▽「百古」は後々の世、非常に長い年月のこと。「不磨」はすり減らない、永久になくならない意。
ふうん-ちょうろ【浮雲朝露】
頼りなくはかないもののたとえ。また、時の切迫していることの形容。▽「浮雲」は空に浮かぶ雲。頼りなく定まらないたとえ。また、確かでないことのたとえ。「朝露」は朝おりる露。すぐに消えるはかないもののたとえ。
ぶっかん-せいい【物換星移】
世の中が移り変わること。物事は変わり、歳月が過ぎゆく意から。▽「物換」は物事が変わること。「星移」は歳月が過ぎること。「星」は歳月の意。「物もの換かわり星ほし移うつる」と訓読する。
ほうまつ-むげん【泡沫夢幻】
人生のはかないたとえ。水のあわと夢まぼろしの意から。▽「泡沫」はあわ・あぶくの意。「夢幻泡沫むげんほうまつ」ともいう。
みらい-えいごう【未来永劫】
これから未来にわたる、果てしなく長い年月。永遠。▽仏教語。「未来」は将来のこと。「永劫」は想像できないほど長い時間を表す。「未来」を添えて意味を強めた語。仏教では「永」は「よう」とも読む。
むげん-ほうよう【夢幻泡影】
人生や世の中の物事は実体がなく、非常にはかないことのたとえ。▽仏教語。「夢ゆめ」「幻まぼろし」「泡あわ」「影かげ」はいずれも壊れやすく、はかないもののたとえ。「影」は「えい」とも読む。
むじょう-じんそく【無常迅速】
現世の物事の移り変わりがきわめて速く、むなしいものであるさま。転じて、人の一生は短く、死期が思い掛けず早く訪れることのたとえ。▽仏教語。「無常」はあらゆるものは生死を繰り返し、永久不変のものは一切ないということ。「迅速」はきわめて素早いさま。
ろうしょう-ふじょう【老少不定】
人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。人の生死は予測できないものだということ。▽人生の無常をいう仏教語。「不定」は一定しないこと、決まった法則や規則がないこと。「少」は若い意。
ろおう-そうらい【露往霜来】
露が降りる秋の季節が去って、霜の降りる冬の季節が到来する意。転じて、時の過ぎるのが早いたとえ。▽「露つゆ往ゆき霜しも来きたる」と訓読する。本来は、獣の肉付きがよくなる時期を表現した言葉。