せき‐ひ【石碑】例文一覧 16件

  1. ・・・ 毎夜、弁天橋へ最後の船を着けると、後へ引返してかの石碑の前を漕いで、蓬莱橋まで行ってその岸の松の木に纜っておいて上るのが例で、風雨の烈しい晩、休む時はさし措き、年月夜ごとにきっとである。 且つ仕舞船を漕ぎ戻すに当っては名代の信者、・・・<泉鏡花「葛飾砂子」青空文庫>
  2. ・・・入口の石の鳥居の左に、とりわけ暗く聳えた杉の下に、形はつい通りでありますが、雪難之碑と刻んだ、一基の石碑が見えました。 雪の難――荷担夫、郵便配達の人たち、その昔は数多の旅客も――これからさしかかって越えようとする峠路で、しばしば命を殞・・・<泉鏡花「雪霊記事」青空文庫>
  3. ・・・三方崩れかかった窪地の、どこが境というほどの杭一つあるのでなく、折朽ちた古卒都婆は、黍殻同然に薙伏して、薄暗いと白骨に紛れよう。石碑も、石塔も、倒れたり、のめったり、台に据っているのはほとんどない。それさえ十ウの八つ九つまでは、ほとんど草が・・・<泉鏡花「燈明之巻」青空文庫>
  4. ・・・苔に惑い、露に辷って、樹島がやや慌しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年不沙汰した、塔婆の中の草径を、志す石碑に迷ったからであった。 紫袱紗の輪鉦を片手に、「誰方の墓であらっしゃるかの。」 少・・・<泉鏡花「夫人利生記」青空文庫>
  5. ・・・ いま辻町は、蒼然として苔蒸した一基の石碑を片手で抱いて――いや、抱くなどというのは憚かろう――霜より冷くっても、千五百石の女じょうろうの、石の躯ともいうべきものに手を添えているのである。ただし、その上に、沈んだ藤色のお米の羽織が袖・・・<泉鏡花「縷紅新草」青空文庫>
  6. ・・・そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。 二人は、石碑の建っている右と左に番をしていました。いたってさびしい山・・・<小川未明「野ばら」青空文庫>
  7. ・・・ 城門前の石碑のあるあたりから、鉄道の線路を越え、二人は砂まじりの窪い道を歩いて行った。並んだ石垣と桑畠との見える小高い耕地の上の方には大手門の残ったのが裏側から望まれた。先生はその高い瓦屋根を高瀬に指して見せた。初めて先生が小諸へ移っ・・・<島崎藤村「岩石の間」青空文庫>
  8. ・・・「ああ、このお宮の石碑みたい。」路傍に、金色夜叉の石碑が立っている。「僕、いちばん単純なことを言おうか。K、まじめな話だよ。いいかい? 僕を、――」「よして! わかっているわよ。」「ほんとう?」「私は、なんでも知っている・・・<太宰治「秋風記」青空文庫>
  9. ・・・ そこにはすでに友人たちの立てた自然石の大きな石碑が立てられてあった。そこに、恋もあり、涙もあり、未死の魂もあり、日本国民としての可憐の愛国心が生きて蘇ってきているのであった。私は野に咲いた花を折ってきてそこに手向けた。 私は秋の日・・・<田山花袋「『田舎教師』について」青空文庫>
  10. ・・・ この道の分れぎわに榎の大木が立っていて、その下に一片の石碑と、周囲に石を畳んだ一坪ほどの池がある。 今年の春、田家にさく梅花を探りに歩いていた時である。わたくしは古木と古碑との様子の何やらいわれがあるらしく、尋常の一里塚ではないよ・・・<永井荷風「葛飾土産」青空文庫>
  11. ・・・老人が靉靆の力を借るが如く、わたくしは電車と乗合自動車に乗って向島に行き、半枯れかかっている病樹の下に立って更に珍しくもない石碑の文をよみ、また朽廃した林亭の縁側に腰をかけては、下水のような池の水を眺めて、猶且つ倦まずに半日を送る。 老・・・<永井荷風「百花園」青空文庫>
  12. ・・・むかし土手の下にささやかな門をひかえた長命寺の堂宇も今はセメント造の小家となり、境内の石碑は一ツ残らず取除かれてしまい、牛の御前の社殿は言問橋の袂に移されて人の目にはつかない。かくの如く向嶋の土手とその下にあった建物や人家が取払われて、その・・・<永井荷風「水のながれ」青空文庫>
  13. ・・・しかし大正の都人士に対しては石碑の文の如きは全く顧る所とならなかった。 江戸時代隅田堤看花の盛況を述るものは、大抵寺門静軒が『江戸繁昌記』を引用してこれが例証となしている。風俗画報社の『新撰東京名所図会』もまた『江戸繁昌記』を引きこれを・・・<永井荷風「向嶋」青空文庫>
  14. ・・・堤の上に名物言問団子を売る店があり、堤の桜の由来を記した高い石碑が立っていたのも、その辺であったと思う。団子屋の前を歩み過ぎて、堤から右手へ降りて行くと静かな人家の散在している町へ出る。 西洋から帰って来てまだ間もない頃のことである。以・・・<永井荷風「向島」青空文庫>
  15. ・・・今一証を示さんに、駿州清見寺内に石碑あり、この碑は、前年幕府の軍艦咸臨丸が、清水港に撃たれたるときに戦没したる春山弁造以下脱走士の為めに建てたるものにして、碑の背面に食人之食者死人之事の九字を大書して榎本武揚と記し、公衆の観に任して憚るとこ・・・<福沢諭吉「瘠我慢の説」青空文庫>
  16. ・・・村はずれの小道を畑づたいにやや山手の方へのぼり行けば四坪ばかり地を囲うて中に範頼の霊を祭りたる小祠とその側に立てたる石碑とのみ空しく秋にあれて中々にとうとし。うやうやしく祠前に手をつきて拝めば数百年の昔、目の前に現れて覚えずほろほろと落つる・・・<正岡子規「旅の旅の旅」青空文庫>