ぜん‐しん【全身】例文一覧 30件

  1. ・・・遠藤は殆ど気違いのように、妙子の名前を呼びかけながら、全身の力を肩に集めて、何度も入口の戸へぶつかりました。 板の裂ける音、錠のはね飛ぶ音、――戸はとうとう破れました。しかし肝腎の部屋の中は、まだ香炉に蒼白い火がめらめら燃えているばかり・・・<芥川竜之介「アグニの神」青空文庫>
  2. ・・・ 房子は全身の戦慄と闘いながら、手近の壁へ手をのばすと、咄嗟に電燈のスウィッチを捻った。と同時に見慣れた寝室は、月明りに交った薄暗がりを払って、頼もしい現実へ飛び移った。寝台、西洋せいようがや、洗面台、――今はすべてが昼のような光の中に・・・<芥川竜之介「影」青空文庫>
  3. ・・・クララは有頂天になった。全身はかつて覚えのない苦しい快い感覚に木の葉の如くおののいた。喉も裂け破れる一声に、全身にはり満ちた力を搾り切ろうとするような瞬間が来た。その瞬間にクララの夢はさめた。 クララはアグネスの眼をさまさないようにそっ・・・<有島武郎「クララの出家」青空文庫>
  4. ・・・新しい、これまで知らなかった苦悩のために、全身が引き裂かれるようである。 どうも何物をか忘れたような心持がする。一番重大な事、一番恐ろしかった事を忘れたのを、思い出さなくてはならないような心持がする。 どうも自分はある物を遺却してい・・・<著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外「罪人」青空文庫>
  5. ・・・ この一声を聞くとともに、一桶の氷を浴びたるごとく、全身の血は冷却して、お貞は、「はい。」 と戦きたり。 時彦はいともの静に、「お前、このごろから茶を断ッたな。」「いえ、何も貴下、そんなことを。」 と幽かにいいて・・・<泉鏡花「化銀杏」青空文庫>
  6. ・・・ 容貌甚だ憔悴し、全身黒み痩せて、爪長く髯短し、ただこれのみならむには、一般乞食と変わらざれども、一度その鼻を見る時は、誰人といえども、造化の奇を弄するも、また甚だしきに、驚かざるを得ざるなり。鼻は大にして高く、しかも幅広に膨れたり。そ・・・<泉鏡花「妖僧記」青空文庫>
  7. ・・・水を全身に浴みてしまった。若い者共も二頭三頭と次々引出して来る。 人畜を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬っては戦士が傷ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に・・・<伊藤左千夫「水害雑録」青空文庫>
  8. ・・・仰向けに倒れて力抜けがした全身をぐッたり、その手足を延ばした。 そこへ何物か表から飛んで来て、裏窓の壁に当ってはね返り、ごろごろとはしご段を転げ落ちた。迷い鳥にしてはあまりに無謀過ぎ、あまりに重みがあり過ぎたようだ。 ぎょッとしたが・・・<岩野泡鳴「耽溺」青空文庫>
  9. ・・・ 土用近い暑さのところへ汁を三杯も啜ったので、私は全身汗が走り、寝ぼけたような回転を続けている扇風機の風にあたって、むかし千日前の常磐座の舞台で、写真の合間に猛烈な響を立てて回転した二十吋もある大扇風機や、銭湯の天井に仕掛けたぶるんぶる・・・<織田作之助「大阪発見」青空文庫>
  10. ・・・髪の毛は段々と脱落ち、地体が黒い膚の色は蒼褪めて黄味さえ帯び、顔の腫脹に皮が釣れて耳の後で罅裂れ、そこに蛆が蠢き、脚は水腫に脹上り、脚絆の合目からぶよぶよの肉が大きく食出し、全身むくみ上って宛然小牛のよう。今日一日太陽に晒されたら、これがま・・・<著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷「四日間」青空文庫>
  11. ・・・ こう聞いて、私は全身にヒヤリとしたものを感じて、口を緘じた。二人でばかにする……この不用意な言葉が、私の腹のどん底へ、重い弾丸を投じたものだ。なるほどそんな風に考えたのか、火鉢の傍を離れて自分はせっせと復習をしている、母や妹たちのこと・・・<葛西善蔵「父の出郷」青空文庫>
  12. ・・・草の上に腰から上が出て、その立てた膝に画板が寄掛けてある、そして川柳の影が後から彼の全身を被い、ただその白い顔の辺から肩先へかけて楊を洩れた薄い光が穏かに落ちている。これは面白ろい、彼奴を写してやろうと、自分はそのまま其処に腰を下して、志村・・・<国木田独歩「画の悲み」青空文庫>
  13. ・・・ 氷のような悪寒が、電流のように速かに、兵卒達の全身を走った。彼等は、ヒヤッとした。栗島は、いつまでも太股がブル/\慄えるのを止めることが出来なかった。軍刀は打ちおろされたのであった。 必死の、鋭い、号泣と叫喚が同時に、老人の全身か・・・<黒島伝治「穴」青空文庫>
  14. ・・・竿尻より上の一尺ばかりのところを持つと、竿は水の上に全身を凛とあらわして、あたかも名刀の鞘を払ったように美しい姿を見せた。 持たない中こそ何でもなかったが、手にして見るとその竿に対して油然として愛念が起った。とにかく竿を放そうとして二、・・・<幸田露伴「幻談」青空文庫>
  15. ・・・ おげんは中年の看護婦と言葉をかわして見て、電気にでも打たれるような身ぶるいが全身を通り過ぎるのを覚えた。 翌朝になると、おげんは多勢の女の患者ばかりごちゃごちゃと集まって臥たり起きたりする病院の大広間に来ていた。夢であってくれれば・・・<島崎藤村「ある女の生涯」青空文庫>
  16. ・・・そのごったがえしの群々の中には、そこにもここにも、全身にやけどをした人や、重病者が、横だおしになってうなっている。保護者にはぐれた子どもたちが、おんおんないてうろうろしている。恐怖と悲嘆とに気が狂った女が、きいきい声をあげてかけ歩く。びっく・・・<鈴木三重吉「大震火災記」青空文庫>
  17. ・・・気に友人達を汽車に乗せたものの、さてこんなに大勢で佐吉さんの小さい酒店に御厄介になっていいものかどうか、汽車の進むにつれて私の不安は増大し、そのうちに日も暮れて、三島駅近くなる頃には、あまりの心細さに全身こまかにふるえ始め、幾度となく涙ぐみ・・・<太宰治「老ハイデルベルヒ」青空文庫>
  18. ・・・ 病気はほんとうに治ったのでないから、息が非常に切れる。全身には悪熱悪寒が絶えず往来する。頭脳が火のように熱して、顳がはげしい脈を打つ。なぜ、病院を出た? 軍医があとがたいせつだと言ってあれほど留めたのに、なぜ病院を出た? こう思ったが・・・<田山花袋「一兵卒」青空文庫>
  19. ・・・親鳥だと、単にちょっと逆立ちをしてしっぽを天に朝しさえすればくちばしが自然に池底に届くのであるが、ひな鳥はこうして全身を没してもぐらないと目的を達しないから、その自然の要求からこうした芸当をするのであろうが、それにしても、水中にもぐっている・・・<寺田寅彦「あひると猿」青空文庫>
  20. ・・・加茂の水の透き徹るなかに全身を浸けたときは歯の根が合わぬくらいであった。湯に入って顫えたものは古往今来たくさんあるまいと思う。湯から出たら「公まず眠れ」と云う。若い坊さんが厚い蒲団を十二畳の部屋に担ぎ込む。「郡内か」と聞いたら「太織だ」と答・・・<夏目漱石「京に着ける夕」青空文庫>
  21. ・・・ ビール箱の蓋の蔭には、二十二三位の若い婦人が、全身を全裸のまま仰向きに横たわっていた。彼女は腐った一枚の畳の上にいた。そして吐息は彼女の肩から各々が最後の一滴であるように、搾り出されるのであった。 彼女の肩の辺から、枕の方へかけて・・・<葉山嘉樹「淫賣婦」青空文庫>
  22. ・・・内側に向かっても放射するのか、全身が黒くなる。そして、八本足で立って歩きながら逃げようとする。イイダコ釣りは面白いので、私はヒマを見つけるとときどき試みるが、一日に六十匹も引きあげたことがある。 役者の佐々木孝丸さんは、ペルリ上陸記念碑・・・<火野葦平「ゲテ魚好き」青空文庫>
  23. ・・・風はそよとも吹かぬが、しみるような寒気が足の爪先から全身を凍らするようで、覚えず胴戦いが出るほどだ。 中庭を隔てた対向の三ツ目の室には、まだ次の間で酒を飲んでいるのか、障子に男女二個の影法師が映ッて、聞き取れないほどの話し声も聞える。・・・<広津柳浪「今戸心中」青空文庫>
  24. ・・・そして間もなく雪に全身を包まれて、外の寝所を捜しに往く。深い雪を踏む、静かなさぐり足が、足音は立てない。破れた靴の綻びからは、雪が染み込む。<著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外「橋の下」青空文庫>
  25. ・・・の皮下注射方もっとも適当にして、医師も常にこの方に依頼して一時の急に応ずといえども、その劇痛のよって来る所の原因を求めたらば、あるいは全身の貧血、神経の過敏をいたし、時候寒暑等の近因に誘われて、とみに神経痛を発したるものもあらん。全身の貧血・・・<福沢諭吉「政事と教育と分離すべし」青空文庫>
  26. ・・・ 豚はこれらの問答を、もう全身の勢力で耳をすまして聴いて居た。あんまり豚はつらいので、頭をゴツゴツ板へぶっつけた。 そのひるすぎに又助手が、小使と二人やって来た。そしてあの二つの鉄環から、豚の足を解いて助手が云う。「いかがです、・・・<宮沢賢治「フランドン農学校の豚」青空文庫>
  27. ・・・三十一、二歳だった一人の女として、ある程度文学の仕事に経験を重ねている作家として、中條百合子は、全身全心をうちかけて、「新しい世界」のカーテンをかかげ、その景観を日本のすべての人にわかとうとしている。自分の感動をかくさず、人々も、まともな心・・・<宮本百合子「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」青空文庫>
  28. ・・・ 市太夫、五太夫は相手きらわず槍を交えているうち、全身に数えられぬほどの創を受けた。それでも屈せずに、槍を棄てて刀を抜いて切り廻っている。七之丞はいつのまにか倒れている。 太股をつかれた柄本又七郎が台所に伏していると、高見の手のもの・・・<森鴎外「阿部一族」青空文庫>
  29. ・・・ 彼の田虫の活動はナポレオンの全身を戦慄させた。その活動の最高頂は常に深夜に定っていた。彼の肉体が毛布の中で自身の温度のために膨張する。彼の田虫は分裂する。彼の爪は痒さに従って活動する。すると、ますます活動するのは田虫であった。ナポレオ・・・<横光利一「ナポレオンと田虫」青空文庫>
  30. ・・・湯加減のいい湯に全身を浸しているような具合に、私の心はある大きい暖かい力にしみじみと浸っていました。私はただ無条件に、生きている事を感謝しました。すべての人をこういう融け合った心持ちで抱きたい、抱かなければすまない、と思いました。私は自分に・・・<和辻哲郎「ある思想家の手紙」青空文庫>