ぜん‐ねん【前年】例文一覧 30件

  1. ・・・ちょうど母が歿くなる前年、店の商用を抱えた私は、――御承知の通り私の店は綿糸の方をやっていますから、新潟界隈を廻って歩きましたが、その時田原町の母の家の隣に住んでいた袋物屋と、一つ汽車に乗り合せたのです。それが問わず語りに話した所では、母は・・・<芥川竜之介「捨児」青空文庫>
  2. ・・・それは確震災の前年、――大正十一年の年末だったであろう。僕はその夜田山花袋、高島米峰、大町桂月の諸氏に初めてお目にかかることが出来た。        ◇ 僕は又滝田君の病中にも一度しか見舞うことが出来なかった。滝田君は昔夏目先生が「・・・<芥川竜之介「滝田哲太郎君」青空文庫>
  3. ・・・を書いたのは、この前年であるから、ちょうど一年振りで、二度の勤めをしている訳である。 そこでしばらく立って読んで見ていると、校正の間違いなども大分あるようだから、旁々ここに二度の勤めをするこの小説の由来も聞いてみたし、といって、まだ新聞・・・<泉鏡花「おばけずきのいわれ少々と処女作」青空文庫>
  4. ・・・  実は――前年一度この温泉に宿った時、やっぱり朝のうち、……その時は町の方を歩行いて、通りの煮染屋の戸口に、手拭を頸に菅笠を被った……このあたり浜から出る女の魚売が、天秤を下した処に行きかかって、鮮しい雑魚に添えて、つまといった形・・・<泉鏡花「小春の狐」青空文庫>
  5. ・・・また丁どその卯の花の枝の下に御飯が乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密と来た。忽ち卯の花に遊ぶこと萩に戯るるが如しである。花の白いのにさえ怯えるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚と言いたい・・・<泉鏡花「二、三羽――十二、三羽」青空文庫>
  6. ・・・厄介に思われてるんじゃないかしら、何だか去年や其前年来た時のようではない。どうしたって来たから仕方なしという待遇としか思われない。来ねばよかったな、こりゃ飛だ目に遭ったもんだ。予は思わず歎息が出た。 岡村もおかしいじゃないか、訪問するか・・・<伊藤左千夫「浜菊」青空文庫>
  7. ・・・前へ出ては内気で、無愛嬌だが、――とんまな両親のしていることがもどかしくッて、もどかしくッてたまらないという風に、自分が用のない時は、火鉢の前に坐って、目を離さず、その長い頤で両親を使いまわしている。前年など、かかえられていた芸者が、この娘・・・<岩野泡鳴「耽溺」青空文庫>
  8. ・・・…… 自分はその前年の九月の震災まで、足かけ五年間、鎌倉の山の中の古寺の暗い一室で、病気、不幸、災難、孤独、貧乏――そういったあらゆる惨めな気持のものに打挫かれたような生活を送っていたのだったが、それにしても、実際の牢獄生活と較べてどれ・・・<葛西善蔵「死児を産む」青空文庫>
  9. ・・・弟も前年細君の父の遺物に贈られた、一族のことで同じ丸に三つ柏の紋のついた絽の羽織を持っているが、それはまた丈がかなり短かかった。「追而葬式の儀はいっさい簡略いたし――と葉書で通知もしてあるんだから、いっそ何もかも略式ということにしてふだ・・・<葛西善蔵「父の葬式」青空文庫>
  10. ・・・恰度前年お正と共に散歩した晩と同じである。然し前年の場所へ行くは却って思出の種と避けて渓の上へのぼりながら、途々「縁」に就て朝田が説いた処を考えた、「縁」は実に「哀」であると沁み沁み感じた。 そして構造の大きな農家らしき家の前に来ると、・・・<国木田独歩「恋を恋する人」青空文庫>
  11. ・・・となるは自然の理なり俊雄は秋子に砂浴びせられたる一旦の拍子ぬけその砂肚に入ってたちまちやけの虫と化し前年より父が預かる株式会社に通い給金なり余禄なりなかなかの収入ありしもことごとくこのあたりの溝へ放棄り経綸と申すが多寡が糸扁いずれ天下は綱渡・・・<斎藤緑雨「かくれんぼ」青空文庫>
  12. ・・・その町に着くのだ。おひる頃、中畑さんと北さんと私と三人、ガソリンカアで金木町に向った。 満目の稲田。緑の色が淡い。津軽平野とは、こんなところだったかなあ、と少し意外な感に打たれた。その前年の秋、私は新潟へ行き、ついでに佐渡へも行ってみた・・・<太宰治「帰去来」青空文庫>
  13. ・・・ぼくが帰国したとき、前年義姉を失った兄は、家に帰り、コンムニュスト、党資金局の一員でした。あにを熱愛していたぼくは、マルキシズムの理論的影響失せなかったぼくは、直に共鳴して、鎌倉の別荘を売ったぼくの学費を盗みだして兄に渡し、自分も学内にR・・・・<太宰治「虚構の春」青空文庫>
  14. ・・・けれども私が、それらの小説を本気で書きはじめたのは、その前年からの事であった。その頃の事情を「東京八景」には次のように記されてある。「けれども私は、少しずつ、どうやら阿呆から眼ざめていた。遺書を綴った。「思い出」百枚である。今では、この・・・<太宰治「十五年間」青空文庫>
  15. ・・・その前年の師走、草田夫人から僕に、突然、招待の手紙が来たのである。 ――しばらくお逢い致しません。来年のお正月には、ぜひとも遊びにおいで下さい。主人も、たのしみにして待っております。主人も私も、あなたの小説の読者です。 最後の一句に・・・<太宰治「水仙」青空文庫>
  16. ・・・それかといって一度育たなかった種は永久に育たぬときめることもない。前年に植えたもののいかんによって次の年に適当なものの種類はおのずから変わることもありうるのである。 健康である限りわれわれの食物はわれわれが選べばよいが、病気のときは医者・・・<寺田寅彦「読書の今昔」青空文庫>
  17. ・・・ 前年だれか八頭の大蛇とヒドラのお化けとを比較した人があった。近ごろにはインドのヴィシヌとギリシアのポセイドンの関係を論じている学者もある。またガニミード神話の反映をガンダラのある彫刻に求めたある学者の考えでは、鷲がガルダに・・・<寺田寅彦「化け物の進化」青空文庫>
  18. ・・・厄年に入る前年に私は家族の一人を失ったが、その後にはそれほど著しい不幸には会わなかった。もっとも四十二の暮から自分で病気に罹って今でもまだ全快しない。この病気のために生じた色々な困難や不愉快な事がないではなかったが、しかしそれは厄年ではなく・・・<寺田寅彦「厄年と etc.」青空文庫>
  19.  三十七年の夏、東圃君が家族を携えて帰郷せられた時、君には光子という女の児があった。愛らしい生々した子であったが、昨年の夏、君が小田原の寓居の中に意外にもこの子を失われたので、余は前年旅順において戦死せる余の弟のことなど思い・・・<西田幾多郎「我が子の死」青空文庫>
  20. ・・・ もしも維新の一挙、当初に失敗したらば、この輩はただ世の騒乱を好みて平安をいとう者とて、天下後世の評論を受け、あるいはその寃を訴うるによしなきを知るべからずといえども、偶然に今日の事実を見ればこそ、前年に乱を好みしは、その心事の本色に非ず・・・<福沢諭吉「教育の目的」青空文庫>
  21. ・・・けば文明富強は日を期していたすべし、との胸算にてありしが、さて今日にいたりて実際の模様を見るに、教育はなかなかよく行きとどきて字を知る者も多く、一芸一能に達したる専門の学者も少なからずして、まずもって前年の所望はやや達したる姿なれども、これ・・・<福沢諭吉「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」青空文庫>
  22. ・・・すなわち余が如きは前年士族流の学問したる者なれども、今の後進生は決してかかる無謀の挙動を再演すべからず。封建の制度、すでに廃して、士族無経済の気風、なお学生の中に存するは、今日天下の通弊なり。これすなわち余が本塾の学生諸氏に向い、余が経歴に・・・<福沢諭吉「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」青空文庫>
  23. ・・・しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹を傷めるので、前年も胃痙をやって懲り懲りした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹に染み込むのがいやだ。しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインア・・・<正岡子規「くだもの」青空文庫>
  24. ・・・二・二六事件があったのが前年の三六年のことである。 一九三八年一月から中野重治と私と他に数人の評論家が、思想傾向の上から内務省として執筆させることを望まない、という表現で、事実上の執筆禁止をうけた。その前後から雑誌や単行本に対する取締り・・・<宮本百合子「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」青空文庫>
  25. ・・・が組織され、一九三六年には小松清によって、その前年の夏、パリに開かれた文化擁護のための「国際作家大会」と、その成果である同じ名の連盟の誕生が紹介された。これは一九三四年八月、モスクワで第一回文化擁護国際作家大会がもたれたとき、フランス代表と・・・<宮本百合子「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」青空文庫>
  26. ・・・ この前年、二十三歳のカールはイエナ大学に出した学位請求論文によって哲学博士となった。亡くなった父も、母も、カール自身も、大学教授としての生活を考えていたのであった。ところが、ドイツの社会情勢がカールをその平安な計画から追いたてた。一八・・・<宮本百合子「カール・マルクスとその夫人」青空文庫>
  27. ・・・ 按ずるに乙卯は竜池の歿する前年で、香以は三十四歳になっていた。わたくしの芥川氏に聞いた事はほぼ此に尽きている。 わたくしに香以の事を語った人は、独り芥川氏のみではない。一知人はこう云う事を言った。「明治の初年に今戸橋の傍に湊屋とい・・・<森鴎外「細木香以」青空文庫>
  28. ・・・須磨子は三年前に飫肥へ往ったので、仲平の隠家へは天野家から来た謙助の妻淑子と、前年八月に淑子の生んだ千菊とがついて来た。産後体の悪かった淑子は、隠家に来てから六箇月目に、十九で亡くなった。下総にいた夫には逢わずに死んだのである。 仲平は・・・<森鴎外「安井夫人」青空文庫>
  29. ・・・同時にまた彼は熱心なキリシタン排撃者であって、仕官の前年に『排耶蘇』を書いている。松永貞徳とともに、『妙貞問答』の著者不干ハビアンを訪ねた時の記事である。その時、まず第一に問題となったのは、「大地は円いかどうか」ということであった。羅山はハ・・・<和辻哲郎「埋もれた日本」青空文庫>
  30. ・・・だからこの話が前年の十一月ごろに始まったと考えても差し支えはあるまい。いずれにしても先生は、この当時大学での講義を予期していられたのである。京都へ移る前、七月に、学士会で送別会が催された。来会者は井上、元良、中島、狩野、姉崎、常盤、中島、戸・・・<和辻哲郎「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」青空文庫>