た‐ろう〔‐ラウ〕【太郎】例文一覧 30件

  1. ・・・「どうもお律の容態が思わしくないから、慎太郎の所へ電報を打ってくれ。」「そんなに悪いの?」 洋一は思わず大きな声を出した。「まあ、ふだんが達者だから、急にどうと云う事もあるまいがね、――慎太郎へだけ知らせた方が――」 洋・・・<芥川竜之介「お律と子等と」青空文庫>
  2. ・・・の中にある「浦島太郎」を買って来てくれた。こう云うお伽噺を読んで貰うことの楽しみだったのは勿論である。が、彼はそのほかにももう一つ楽しみを持ち合せていた。それはあり合せの水絵具に一々挿絵を彩ることだった。彼はこの「浦島太郎」にも早速彩色を加・・・<芥川竜之介「少年」青空文庫>
  3. ・・・……田畝に狐火が灯れた時分である。太郎稲荷の眷属が悪戯をするのが、毎晩のようで、暗い垣から「伊作、伊作」「おい、お祖母さん」くしゃんと嚔をして消える。「畜生め、またうせた。」これに悩まされたためでもあるまい。夜あそびをはじめて、ぐれだして、・・・<泉鏡花「開扉一妖帖」青空文庫>
  4. ・・・と、大宅太郎光国の恋女房が、滝夜叉姫の山寨に捕えられて、小賊どもの手に松葉燻となる処――樹の枝へ釣上げられ、後手の肱を空に、反返る髪を倒に落して、ヒイヒイと咽んで泣く。やがて夫の光国が来合わせて助けるというのが、明晩、とあったが、翌晩もその・・・<泉鏡花「国貞えがく」青空文庫>
  5. ・・・「こないだも大ざらいがあって、義太夫を語ったら、熊谷の次郎直実というのを熊谷の太郎と言うて笑われたんだ――あ、あれがうちの芸著です、寝坊の親玉」 と、そとを指さしたので、僕もその方に向いた。いちじくの葉かげから見えたのは、しごき一つ・・・<岩野泡鳴「耽溺」青空文庫>
  6.  それは、春の遅い、雪の深い北国の話であります。ある日のこと太郎は、おじいさんの帰ってくるのを待っていました。 おじいさんは三里ばかり隔たった、海岸の村へ用事があって、その日の朝早く家を出ていったのでした。「おじいさん、いつ帰っ・・・<小川未明「大きなかに」青空文庫>
  7. ・・・と、お土産に、みごとなパイをもらったのでした。「まあ、おいしそうね。」と、お姉さんが、いいました。「お母さん、すぐに、切っておくれよ。」と、太郎さんが、いいました。「果物がはいっているから、勇ちゃんは、たべていけないのですね。」・・・<小川未明「お母さんはえらいな」青空文庫>
  8. ・・・たいてい皆いやいや引っ張り出されて、浦島太郎になって帰って来た連中やぞ。浦島太郎なら玉手箱の土産があるけど、復員は脊中の荷物だけが財産やぞ。その財産すっかり掏ってしもても、お前何とも感じへんのか」「…………」 亀吉は眼尻の下った半泣・・・<織田作之助「夜光虫」青空文庫>
  9. ・・・ こうした不健康な土地に妻子供を呼び集めねばならぬことかと、多少暗い気持で、倅の耕太郎とこうした会話を交わしていた。 こうした二三日の続いた日の午後、惣治の手紙で心配して、郷里の老父がひょっこり出てきたのだ。「俺が行って追返して・・・<葛西善蔵「贋物」青空文庫>
  10. ・・・ 三十の年に恩人の無理じいに屈して、養子に行き、養子先の娘の半気違いに辛抱しきれず、ついに敬太郎という男の子を連れて飛びだしてしまい、その子は姉に預けて育ててもらう、それ以後は決して妻帯せず、純然たるひとり者で、とうとう六十余歳まで通し・・・<国木田独歩「二老人」青空文庫>
  11. ・・・卯太郎という老人だ。彼自身も、自分の所有地は、S町の方に田が二段歩あるだけだった。ほかはすべてトシエの家の小作をしている。貧乏人にちがいなかった。そいつが、人を罵る時は、いつも、「貧乏たれ」という言葉を使った。「貧乏たれに限って、ちき生・・・<黒島伝治「浮動する地価」青空文庫>
  12. ・・・ 三代目の横井何太郎が、M――鉱業株式会社へ鉱山を売りこみ、自身は、重役になって東京へ去っても、彼等は、ここから動くことができなかった。丁度鉱山と一緒にM――へ売り渡されたものゝ如く。 物価は、鰻のぼりにのぼった。新しい巨大な器械が・・・<黒島伝治「土鼠と落盤」青空文庫>
  13. ・・・同級の生徒の中に西勃平というのと細川順太郎というのと私と、先ず此三人が年も同じ十一二歳で、気が合った朋友であった。この西勃平というのは、ああ今でも顔を能く覚えて居る。肥った饅頭面の、眼の小さい、随分おもしろい盛んな湾泊者で、相撲を取って負か・・・<幸田露伴「少年時代」青空文庫>
  14. ・・・夙に外国貿易に従事した堺の小島太郎左衛門、湯川宣阿、小島三郎左衛門等は納屋衆の祖先となったのか知れぬ。しかも納屋衆は殆ど皆、朝鮮、明、南海諸地との貿易を営み、大資本を運転して、勿論冒険的なるを厭わずに、手船を万里に派し、或は親しく渡航視察の・・・<幸田露伴「雪たたき」青空文庫>
  15. ・・・毎年の暮れに、郷里のほうから年取りに上京して、その時だけ私たちと一緒になる太郎よりも、次郎のほうが背はずっと高くなった。 茶の間の柱のそばは狭い廊下づたいに、玄関や台所への通い口になっていて、そこへ身長を計りに行くものは一人ずつその柱を・・・<島崎藤村「嵐」青空文庫>
  16. ・・・「どうも太郎や次郎の大きくなったのには、たまげた。三吉もよくお前さん達の噂をしていますよ。あれも大きくなりましたよ」 とおげんは熊吉の子供に言って、それから弟の居るところへ一緒に成った。 しばらく逢わずにいるうちに直次もめっきり・・・<島崎藤村「ある女の生涯」青空文庫>
  17. ・・・浦島太郎さんの海が見えるよ。」 私ひとり、何かと騒いでいる。「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」 とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。「川だわねえ、お母さん。」と子供・・・<太宰治「海」青空文庫>
  18. ・・・は人間の骨だ、人間は昔、こんな醜い姿をして這って歩いていたのだ、恥を知れ、などと言って学界の紳士たちをおどかしたので、その石は大変有名になりまして、貴婦人はこれを憎み、醜男は喝采し、宗教家は狼狽し、牛太郎は肯定し、捨てて置かれぬ一大社会問題・・・<太宰治「黄村先生言行録」青空文庫>
  19. ・・・一つを「太郎」もう一つを「次郎」と呼んでいた。あとの二匹は玉のような赤黄色いのと、灰色と茶の縞のような斑のあるのとで、前のを「あか」あとのを「おさる」と名づけていた、おさるは顔にある縞がいわゆるどこか猿ぐまに似ていたからだれかがそう名づけた・・・<寺田寅彦「子猫」青空文庫>
  20. ・・・素面ではさすがにぐあいが悪いと見えてみんな道化た仮面をかぶって行くことになっていたので、その時期が来ると市中の荒物屋やおもちゃ屋にはおかめ、ひょっとこ、桃太郎、さる、きつねといったようないろいろの仮面を売っていた。泥色をした浅草紙を型にたた・・・<寺田寅彦「自由画稿」青空文庫>
  21. ・・・ 大切の越後獅子の中ほどへくると、浅太郎や長三郎の踊りが、お絹の目にも目だるっこく見えた。 川端へ出ると、雨が一雫二雫顔に当たって、冷やかな風がふいていた。 家へ帰ってくると、道太は急いで著物をぬいで水で体をふいたが、お絹も襦袢・・・<徳田秋声「挿話」青空文庫>
  22. ・・・辻を曲ると、道の片側には小家のつづいた屋根のうしろに吉原の病院が見え、片側は見渡すかぎり水田のつづいた彼方に太郎稲荷の森が見えた。吉原田圃はこの処をいったのである。裏田圃とも、また浅草田圃ともいった。単に反歩ともいったようである。 吉原・・・<永井荷風「里の今昔」青空文庫>
  23. ・・・今度は円太郎馬車で新宅の横町の前まで来た。「どれが内ですか」と聞いた。向うに雑な煉瓦造りの長屋が四五軒並んでいる。前には何にもない。砂利を掘った大きな穴がある。東京の小石川辺の景色だ。長屋の端の一軒だけ塞がっていてあとはみんな貸家の札が張っ・・・<夏目漱石「倫敦消息」青空文庫>
  24. ・・・     七 忍が岡と太郎稲荷の森の梢には朝陽が際立ッて映ッている。入谷はなお半分靄に包まれ、吉原田甫は一面の霜である。空には一群一群の小鳥が輪を作ッて南の方へ飛んで行き、上野の森には烏が噪ぎ始めた。大鷲神社の傍の田甫の白鷺・・・<広津柳浪「今戸心中」青空文庫>
  25. ・・・源家八幡太郎の子孫に武人の夥しきも、能力遺伝の実証として見るべし。また、武家の子を商人の家に貰うて養えば、おのずから町人根性となり、商家の子を文人の家に養えば、おのずから文に志す。幼少の時より手につけたる者なれば、血統に非ざるも自然に養父母・・・<福沢諭吉「徳育如何」青空文庫>
  26. ・・・長谷川辰之助長谷川静子殿長谷川柳子殿     遺族善後策これは遺言ではなけれど余死したる跡にて家族の者差当り自分の処分に迷うべし仍て余の意見を左に記す一 玄太郎せつの両人は即時学校をやめ奉公に出ず・・・<二葉亭四迷「遺言状・遺族善後策」青空文庫>
  27. ・・・夕貌の花しらじらと咲めぐる賤が伏屋に馬洗ひをり松戸にて口よりいづるままにふくろふの糊すりおけと呼ぶ声に衣ときはなち妹は夜ふかすこぼれ糸さでにつくりて魚とると二郎太郎三郎川に日くらす行路雨・・・<正岡子規「曙覧の歌」青空文庫>
  28. ・・・桃太郎、カチカチ山、兎と亀その他いわゆるおとぎ話は、たくさんアレゴリーの形式で書かれている。 ロシアにもクルイロフというがっちりした爺さんがいて、エソープの焼直しものをうんと書いた。今でもレーニングラードの冬宮裏の公園へ行くと、濃い菩提・・・<宮本百合子「新たなプロレタリア文学」青空文庫>
  29. ・・・ 寺本が先祖は尾張国寺本に住んでいた寺本太郎というものであった。太郎の子内膳正は今川家に仕えた。内膳正の子が左兵衛、左兵衛の子が右衛門佐、右衛門佐の子が与左衛門で、与左衛門は朝鮮征伐のとき、加藤嘉明に属して功があった。与左衛門の子が・・・<森鴎外「阿部一族」青空文庫>
  30. ・・・それでは落合太郎君もさそおうではないかと言って、そのころ真如堂の北にいた落合君のところを十時ごろに訪ねた。そうして三人で町へ出て、伏見に向かった。 谷川君が案内してくれたのは、伏見の橋のそばの宿屋であった。もう夜も遅いし、明朝は三時に起・・・<和辻哲郎「巨椋池の蓮」青空文庫>