つう‐じん【通人】例文一覧 16件

  1. ・・・その子供らしい熱心さが、一党の中でも通人の名の高い十内には、可笑しいと同時に、可愛かったのであろう。彼は、素直に伝右衛門の意をむかえて、当時内蔵助が仇家の細作を欺くために、法衣をまとって升屋の夕霧のもとへ通いつめた話を、事明細に話して聞かせ・・・<芥川竜之介「或日の大石内蔵助」青空文庫>
  2. ・・・その上そこにいる若槻自身も、どこか当世の浮世絵じみた、通人らしいなりをしている。昨日も妙な着物を着ているから、それは何だねと訊いて見ると、占城という物だと答えるじゃないか? 僕の友だち多しといえども、占城なぞという着物を着ているものは、若槻・・・<芥川竜之介「一夕話」青空文庫>
  3. ・・・ 八、半可な通人ぶりや利いた風の贅沢をせざる事。 九、容貌風采共卑しからざる事。 十、精進の志に乏しからざる事。大作をやる気になったり、読み切りそうもない本を買ったりする如き。 十一、妄に遊蕩せざる事。 十二、視力の好き・・・<芥川竜之介「彼の長所十八」青空文庫>
  4. ・・・この拗者の江戸の通人が耳の垢取り道具を揃えて元禄の昔に立返って耳の垢取り商売を初めようというと、同じ拗者仲間の高橋由一が負けぬ気になって何処からか志道軒の木陰を手に入れて来て辻談義を目論見、椿岳の浅草絵と鼎立して大に江戸気分を吐こうと計画し・・・<内田魯庵「淡島椿岳」青空文庫>
  5. ・・・尤もこういう風采の男だとは多少噂を聞いていたが、会わない以前は通人気取りの扇をパチつかせながらヘタヤタラとシャレをいう気障な男だろうと思っていた。ところが或る朝、突然刺を通じたので会って見ると、斜子の黒の紋付きに白ッぽい一楽のゾロリとした背・・・<内田魯庵「斎藤緑雨」青空文庫>
  6. ・・・加うるに持って生れた通人病や粋人癖から求めて社会から遠ざかって、浮世を茶にしてシャレに送るのを高しとする風があった。当時の硯友社や根岸党の連中の態度は皆是であった。 尤も伝来の遺習が脱け切れなかった為めでもあるが、一つには職業としての文・・・<内田魯庵「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」青空文庫>
  7. ・・・文人風の洒脱な風流気も通人気取の嫌味な肌合もなかった。が、同時に政治家型の辺幅や衒気や倨傲やニコポンは薬にしたくもなかった。君子とすると覇気があり過ぎた。豪傑とすると神経過敏であった。実際家とするには理想が勝ち過ぎていた。道学先生とするには・・・<内田魯庵「二葉亭余談」青空文庫>
  8. ・・・ 馬琴という人は、或る種類の人、ひと口に申しますれば通人がったり大人物がったりする人々には、余り賞されないのみならず、あるいはクサされる傾きさえある人でありますが、先ず日本の文学史上にはどうしても最高の地位を占めて居る人でございまして、・・・<幸田露伴「馬琴の小説とその当時の実社会」青空文庫>
  9. ・・・ しかし、その時、涙の谷、と母に言われて父は黙し、何か冗談を言って切りかえそうと思っても、とっさにうまい言葉が浮かばず、黙しつづけると、いよいよ気まずさが積り、さすがの「通人」の父も、とうとう、まじめな顔になってしまって、「誰か、人・・・<太宰治「桜桃」青空文庫>
  10. ・・・また従兄にも通人がいた。全体にソワソワと八笑人か七変人のより合いの宅みたよに、一日芝居の仮声をつかうやつもあれば、素人落語もやるというありさまだ。僕は一番上の兄に監督せられていた。 一番上の兄だって道楽者の素質は十分もっていた。僕かね、・・・<夏目漱石「僕の昔」青空文庫>
  11. ・・・私たちの若い時は羽織の紋が一つしきゃないのを着て通人とか何とかいって喜んでいた。それが近頃は五つ紋をつけるようになった。それも大きなのが段々小さくなったようだが、近頃どの位になっているのか。私は羽織の紋が余り大きいから流行に後れぬように小さ・・・<夏目漱石「模倣と独立」青空文庫>
  12. ・・・明治の初期、戯作者気質ののこっていた通人気どりの文士たちならば、ざっくばらんに「食おうかい」とでも呼んだであろうし、明治末葉から大正にかけての作家連であったらば、十円をつかって遊びながらも文化人、芸術家としてこの人生の発展のために彼等の負う・・・<宮本百合子「「大人の文学」論の現実性」青空文庫>
  13.  服装に就いての趣味と云っても、私は着物の通人ではないから、あれがいいとか、こんな色合は悪いとかは云えない。要するに着ているそのひとに合っていればいい。種々変った型、色、等があって差し支えないということは、恰も同一の個性が人・・・<宮本百合子「二つの型」青空文庫>
  14. ・・・俗輩どもを無視する作家としての誇りを、紅葉は自身の文学的感覚、教養に認めるしかなかったのであるが、ヨーロッパ文学は未だ彼の血となり切っておらず、境遇的事情もあって、彼は自身を通人として、文人として伝統の裡に活かしめたのであった。 ここで・・・<宮本百合子「文学における今日の日本的なるもの」青空文庫>
  15. ・・・ 当時小倉袴仲間の通人がわたくしに教えて云った。「あれは摂津国屋藤次郎と云う実在の人物だそうだよ」と。モデエルと云う語はこう云う意味にはまだ使われていなかった。 この津藤セニョオルは新橋山城町の酒屋の主人であった。その居る処から山城・・・<森鴎外「細木香以」青空文庫>
  16. ・・・芸妓の芸が音曲舞踊の芸ではなくして枕席の技巧を意味せられる時代には、通人はもはや昔のように優れた享楽人であることを要しないのである。 享楽の能力が豊富であるとは、物象に現われた生命の価値を十分に味わい得るということである。そのためにはあ・・・<和辻哲郎「享楽人」青空文庫>