て‐ぢか【手近】例文一覧 30件

  1. ・・・ 房子は全身の戦慄と闘いながら、手近の壁へ手をのばすと、咄嗟に電燈のスウィッチを捻った。と同時に見慣れた寝室は、月明りに交った薄暗がりを払って、頼もしい現実へ飛び移った。寝台、西洋せいようがや、洗面台、――今はすべてが昼のような光の中に・・・<芥川竜之介「影」青空文庫>
  2. ・・・ 丁度私が其の不調和なヤコフ・イリイッチの面構えから眼を外らして、手近な海を見下しながら、草の緑の水が徐ろに高くなり低くなり、黒ペンキの半分剥げた吃水を嘗めて、ちゃぶりちゃぶりとやるのが、何かエジプト人でも奏で相な、階律の単調な音楽を聞・・・<有島武郎「かんかん虫」青空文庫>
  3. ・・・ここでは手近な絵本西遊記で埒をあける。が、ただ先哲、孫呉空は、ごまむしと変じて、夫人の腹中に飛び込んで、痛快にその臓腑を抉るのである。末法の凡俳は、咽喉までも行かない、唇に触れたら酸漿の核ともならず、溶けちまおう。 ついでに、おかしな話・・・<泉鏡花「燈明之巻」青空文庫>
  4. ・・・見れば食器を入れた棚など手近にある。長火鉢に鉄瓶が掛かってある。台所の隣り間で家人の平常飲み食いする所なのだ。是は又余りに失敬なと腹の中に熱いうねりが立つものから、予は平気を装うのに余程骨が折れる。「君夕飯はどうかな。用意して置いたんだ・・・<伊藤左千夫「浜菊」青空文庫>
  5. ・・・と、僕は手近の銚子を出した。「それでも」と、お袋は三味を横へおろして、「よく覚えているだけ感心だ、わ。――先生、この子がおッ師匠さんのところへ通う時ア、困りましたよ。自分の身に附くお稽古なんだに、人の仕事でもして来たようにお駄賃をく・・・<岩野泡鳴「耽溺」青空文庫>
  6. ・・・紙入や銭入も決して袋物屋の出来合を使わないで、手近にあり合せた袋で間に合わしていた。何でも個性を発揮しなければ気が済まないのが椿岳の性分で、時偶市中の出来合を買って来ても必ず何かしら椿岳流の加工をしたもんだ。 なお更住居には意表外の数寄・・・<内田魯庵「淡島椿岳」青空文庫>
  7. ・・・詳しき説明は宇都宮時雄の君に請いたもうぞ手近なる。 いずこまで越したもうやとのわが問いは貴嬢を苦しめしだけまたかの君の笑壺に入りたるがごとし。かの君、大磯に一泊して明日は鎌倉まで引っ返しかしこにて両三日遊びたき願いに候えど――。われ、そ・・・<国木田独歩「おとずれ」青空文庫>
  8. ・・・高さ五間以上もある壁のような石垣ですから、私は驚いて止めようと思っているうちに、早くも中ほどまで来て、手近の葛に手が届くと、すらすらとこれをたぐってたちまち私のそばに突っ立ちました。そしてニヤニヤと笑っています。「名前はなんというの?」・・・<国木田独歩「春の鳥」青空文庫>
  9. ・・・かれは意にもなく手近の小枝を折り、真紅の葉一つを摘みて流れに落とせば、早瀬これを浮かべて流れゆくをかれは静かにながめて次の橋の陰に隠るるを待つらんごとし。 この時青年の目に入りしはかれが立てる橋に程近き楓の木陰にうずくまりて物洗いいたる・・・<国木田独歩「わかれ」青空文庫>
  10. ・・・ 一番手近の、グドコーフの家から、三四人同年兵が出て行った。歩きながら交す、その話声が、丘の下までひびいて来た。兵営へ帰っているのだ。 不意に頭の上で、響きのいい朗らかなガーリヤの声がした。二人は、急に、それでよみがえったような気が・・・<黒島伝治「渦巻ける烏の群」青空文庫>
  11. ・・・ 大隊長は、手近をころげそうにして歩いている中尉にきいた。「兵卒が、自分等が指揮者のように、自分から戦争をやめると云っとるんであります。だいぶほかの者を煽動したらしいんであります。」中尉は防寒帽をかむりなおしながら答えた。「どうもシ・・・<黒島伝治「橇」青空文庫>
  12. ・・・ 手近かな例を二三挙げてみる。 田山花袋の「一兵卒」は、日露戦争に、満洲で脚気のために入院した兵卒が、病院の不潔、不衛生粗食に堪えかねて、少しよくなったのを機会に、病院を出て、自分の所属部隊のあとを追うて行く。重い脚を引きずって、銃・・・<黒島伝治「反戦文学論」青空文庫>
  13. ・・・まず手近に例を取て見せようか。犬の尻尾は即ち螺線なのサ。君の頭に生ている毛は螺線に生えてるのサ。イイカネ、螺線の類は非常に多いがネ、第一は直線的有則螺線サ、これは玩弄の鉄砲の中にある蛇腹のような奴サ、第二は曲線的有則螺線サ、これはつまり第一・・・<幸田露伴「ねじくり博士」青空文庫>
  14. ・・・気のどくなのは、手近の小さな広場をたよって、坂本、浅草、両国なぞのような千坪二千坪ばかりの小公園なぞへにげこんだ人たちです。そんな人は、ぎっしりつまったなり出るにも出られず、みんな一しょにむし焼きにあってしまいました。 そんなわけで、な・・・<鈴木三重吉「大震火災記」青空文庫>
  15. ・・・家主からは、さらに二十日待て、と手紙が来て、私のごちゃごちゃの忿懣が、たちまち手近のポチに結びついて、こいつあるがために、このように諸事円滑にすすまないのだ、と何もかも悪いことは皆、ポチのせいみたいに考えられ、奇妙にポチを呪咀し、ある夜、私・・・<太宰治「畜犬談」青空文庫>
  16. ・・・とラプンツェルは教えて、すばやく手近の一羽をつかまえ、足を持ってゆすぶりました。鳩は驚いて羽根をばたばたさせました。「キスしてやっておくれ!」とラプンツェルは鋭く叫んで、その鳩で王子の頬を打ちました。「あっちの烏は、森のやくざ者だよ。」・・・<太宰治「ろまん燈籠」青空文庫>
  17. ・・・ それで私は有り合せの手近な材料から知り得られるだけの事をここに書き並べて、この学者の面影を朧気にでも紹介してみたいと思うのである。主な材料はモスコフスキーの著書に拠る外はなかった。要するに素人画家のスケッチのようなものだと思って読んで・・・<寺田寅彦「アインシュタイン」青空文庫>
  18. ・・・を発見した記事を読んだときにいわゆる武陵桃源の昔話も全くの空想ではないと思ったことであったが、その武陵桃源の手近な一つの標本を自分は今度雨の上高地に見出したようである。<寺田寅彦「雨の上高地」青空文庫>
  19. ・・・そう思って私は試みに手近な書物のさし絵を片はしから点検して行った。その時に心づいた事を後日のための備忘録としてここに書き止めておきたいと思う。ことによるとこんな事はもうとうにだれかが言いふるした陳腐な議論かもしれない。もしそういう文献に通じ・・・<寺田寅彦「浮世絵の曲線」青空文庫>
  20. ・・・ あるときどんな英語の本を読んだら宜かろうという余の問に応じて、先生は早速手近にある紙片に、十種ほどの書目を認めて余に与えられた。余は時を移さずその内の或物を読んだ。即座に手に入らなかったものは、機会を求めて得る度にこれを読んだ。どうし・・・<夏目漱石「博士問題とマードック先生と余」青空文庫>
  21. ・・・だが、盗癖ならばまず彼がその難をこうむるべき手近にいた。且つ近来、学校中で盗難事件はさらになかった。 下痢かなんかだろう。 安岡はそう思って、眠りを求めたが眠りは深谷が連れて出でもしたように、その部屋の空気から消えてしまった。 ・・・<葉山嘉樹「死屍を食う男」青空文庫>
  22. ・・・それにいつでも生憎手近に巡査がいて、おれの頸を攫んで引っ立てて行きゃあがった。それから盲もやってみた。する事の無い職人の真似もしてみた。皆駄目だ。も一つ足なしになって尻でいざると云うのがあるが、爺いさん、あれはおめえやらないがいいぜ。第一道・・・<著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外「橋の下」青空文庫>
  23. ・・・ みんなは、てんでにすきなえ物を持って、まず手近の狼森に行きました。 狼共は九疋共もう出て待っていました。そしてみんなを見て、フッと笑って云いました。「今日も粟餅だ。ここには粟なんか無い、無い、決して無い。ほかをさがしてもなかっ・・・<宮沢賢治「狼森と笊森、盗森」青空文庫>
  24. ・・・ カメラが、こういう青年層へ急激にひろがって行きつつある。手近で、集団的な生活に小さい愉しみをもたらす手段ともなるのであるから、地味な気質の勤労青年たちがカメラにひかれるわけも分る。午ごろ、お濠ばたを通りかかると一時間の休み時間を金のか・・・<宮本百合子「カメラの焦点」青空文庫>
  25. ・・・民衆一般が手近に分りやすく知り得ない諸事情の錯綜の結果、或は率直に闡明され得るなら分明となるはずのところをそれが出来ない事情があるため、一層ものごとが複雑になっているというような、二重の複雑が平凡な民衆の生活の思いよらぬ心持の隅にまで影響し・・・<宮本百合子「今日の文学に求められているヒューマニズム」青空文庫>
  26. ・・・某が刀は違棚の下なる刀掛に掛けあり、手近なる所には何物も無之故、折しも五月の事なれば、燕子花を活けありたる唐金の花瓶を掴みて受留め、飛びしざりて刀を取り、抜合せ、ただ一打に相役を討果たし候。 かくて某は即時に伽羅の本木を買取り、杵築へ持・・・<森鴎外「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」青空文庫>
  27. ・・・しかし九郎右衛門がそれを止めて、四国へ渡ったかも知れぬと云うのは、根拠のない推量である、四国へもいずれ往くとして、先ず手近な土地から捜すが好いと云った。 一行は松坂を立って、武運を祈るために参宮した。それから関を経て、東海道を摂津国大阪・・・<森鴎外「護持院原の敵討」青空文庫>
  28. ・・・ 人に見られて、物思いに沈んでいることを悟られまいと思って、それから忍藻は手近にある古今集を取っていい加減なところを開き、それへ向って字をば読まずに、いよいよ胸の中に物思いの虫をやしなった。「『題知らず……躬恒……貫之……つかわしけ・・・<山田美妙「武蔵野」青空文庫>
  29. ・・・そこでその手近な長椅子に探り寄った。そこへ腰を落ち着けて、途中で止めた眠を続けようと思うのである。やっと探り寄ってそこへ掛けようと思う時、丁度外を誰かが硝子提灯を持って通った。火影がちらと映って、自分の掛けようとしている所に、一人の男の寝て・・・<著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外「白」青空文庫>
  30.  寺田さんは有名な物理学者であるが、その研究の特徴は、日常身辺にありふれた事柄、具体的現実として我々の周囲に手近に見られるような事実の中に、本当に研究すべき問題を見出した点にあるという。ところで日常身辺の事実が示しているのは単に物理・・・<和辻哲郎「寺田寅彦」青空文庫>