出典:デジタル大辞泉(小学館)

2003年3月に米国を中心とする多国籍軍がイラクに侵攻して始まった戦争。イラクが、湾岸戦争の停戦条件として受諾した大量破壊兵器廃棄の義務を果たさず、秘密裡に核兵器開発などを行っていたことが発覚し、その後も国連の査察に対して妨害を続けたことなどの理由による。作戦名は「イラクの自由作戦」。2011年12月、イラク駐留米軍部隊の完全撤退によって終結した。→イラク特別措置法

[補説]多国籍軍は開戦後約3週間で主要都市を制圧。2003年5月に米国大統領ブッシュが戦闘の終結を宣言したが、米英軍を中心とする占領統治下でも、武装勢力によるテロやゲリラ活動、イスラム宗派間の武力抗争が続いた。2006年5月に正式政府が発足し、2008年には治安回復の傾向がみられたことから、イラク当局への治安権限移譲が進んだ。各国の派遣部隊は次々と撤収し、2009年7月には英国軍が撤退を完了。米国は2010年8月に大統領オバマが戦争終結を宣言し、主要戦闘部隊を撤退させ、残留部隊も2011年12月までに完全撤退した。日本は人道支援の名目で平成15年(2003)12月から自衛隊を派遣。派遣先の治安権限が英国からイラクに移ることなどを理由に、陸自は平成18年(2006)7月に撤収、空自も平成21年(2009)2月に撤収を完了した。米国は、イラクが大量破壊兵器を保有し、大統領サダム=フセイン(当時)が国際テロ組織アルカイダを支援している疑いがあるなどとして開戦したが、その後の調査で、大量破壊兵器は発見されず、フセイン政権とアルカイダの関係も立証されなかった。フセインは2003年12月に逮捕。1982年に自国のシーア派住民を大量殺害したことが人道に対する罪にあたるとして死刑判決を受け、2006年12月に刑が執行された。

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