と・う〔とふ〕【訪う】例文一覧 30件

  1. ・・・そうして、その序に、当時西丸にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も粗そそうをしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、愁眉を開く事が出来るような心もちがした。 しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった・・・<芥川竜之介「忠義」青空文庫>
  2. ・・・これはさらに自分の思い出したくないことであるが、おそらくその時の自分は、いかにも偉大な思想家の墓前を訪うらしい、思わせぶりな感傷に充ち満ちていたことだろうと思う。ことによるとそのあとで、「竜華寺に詣ずるの記」くらいは、惻々たる哀怨の辞をつら・・・<芥川竜之介「樗牛の事」青空文庫>
  3. ・・・近県近郷の学校の教師、無論学生たち、志あるものは、都会、遠国からも見学に来り訪うこと、須賀川の牡丹の観賞に相斉しい。で、いずれの方面からも許されて、その旦那の紳士ばかりは、猟期、禁制の、時と、場所を問わず、学問のためとして、任意に、得意の猟・・・<泉鏡花「神鷺之巻」青空文庫>
  4. ・・・もともと私どもの、この旅客は、その小学校友だちの邸あとを訪うために来た。……その時分には遊びに往来もしたろうものを、あの、椎の樹婆叉を知らないのかと、お町が更に怪しんで言うのであった。が、八ツや十ウのものを、わざと親たちは威しもしまい。……・・・<泉鏡花「古狢」青空文庫>
  5. ・・・一頃は訪う人どころか、苔の下に土も枯れ、水も涸いていたんですが、近年他国の人たちが方々から尋ねて来て、世評が高いもんですから、記念碑が新しく建ちましてね、名所のようになりました。それでね、ここのお寺でも、新規に、初路さんの、やっぱり記念碑を・・・<泉鏡花「縷紅新草」青空文庫>
  6. ・・・自分は知人某氏を両国に訪うて第二の避難を謀った。侠気と同情に富める某氏は全力を尽して奔走してくれた。家族はことごとく自分の二階へ引取ってくれ、牛は回向院の庭に置くことを諾された。天候情なくこの日また雨となった。舟で高架鉄道の土堤へ漕ぎつけ、・・・<伊藤左千夫「水害雑録」青空文庫>
  7. ・・・佐介も一夜省作の家を訪うて、そのいさくさなしの気質を丸出しにして、省作の兄と二人で二升の酒を尽くし、おはまを相手に踊りまでおどった。兄は佐介の元気を愛して大いに話し口が合う。「あなたのおとッつさんが、いくらやかましくいっても、二人を分け・・・<伊藤左千夫「春の潮」青空文庫>
  8. ・・・というような調子でやって来て、帰った時にはその晩の勘定五円なにがしを払ってあったので、気の毒に思って、僕はすぐその宿を訪うと、まだ帰らないということであった。どこかでまた焼け酒を飲んでいるのだろうと思ったから、その翌朝を待って再び訪問すると・・・<岩野泡鳴「耽溺」青空文庫>
  9. ・・・椿岳の伝統を破った飄逸な画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽に漾う一種異様な蕭散の気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバラックの仮住居で、故人を偲ぶ旧観の片影をだも認められない。 寒月の名は西鶴の発見者・・・<内田魯庵「淡島椿岳」青空文庫>
  10. ・・・忌々しくてならないので、帰ると直ぐ「鴎外を訪うて会わず」という短文を書いて、その頃在籍していた国民新聞社へ宛ててポストへ入れに運動かたがた自分で持って出掛けた。で、直ぐ近所のポストへ投り込んでからソコラを散歩してかれこれ三十分ばかりして帰る・・・<内田魯庵「鴎外博士の追憶」青空文庫>
  11. ・・・すると間もなく二葉亭は博士を訪うて、果して私が憶測した通りな心持を打明けて相談したので、「内田君も今来て君の心持は多分そうであろうと話した」と、坪内博士が一と言いうと直ぐ一転して「そんな事も考えたが実は猶だ決定したのではない」と打消し、そこ・・・<内田魯庵「二葉亭余談」青空文庫>
  12. ・・・』 その次が十一月二十六日の記、『午後土河内村を訪う。堅田隧道の前を左に小径をきり坂を越ゆれば一軒の農家、山の麓にあり。一個の男、一個の妻、二個の少女麦の肥料を丸めいたり。少年あり、藁を積み重ねし間より頭を出して四人の者が余念なく仕・・・<国木田独歩「小春」青空文庫>
  13. ・・・無論大学に居た時分、一夏帰省した時も訪うた事はある。 老漢学者と新法学士との談話の模様は大概次の如くであった。「ヤア大津、帰省ったか」「ともかく法学士に成りました」「それが何だ、エ?」「内務省に出る事に決定りました、江藤・・・<国木田独歩「富岡先生」青空文庫>
  14. ・・・ 甥の山上武は二三日前、石井翁を訪うて、口をきわめてその無為主義を攻撃したのである。武を石井老人はいつも徳と呼ぶ。それは武の幼名を徳助と言ってから、十二三のころ、徳の父が当世流に武と改名さしたのだ。 徳の姿を見ると二三日前の徳の言葉・・・<国木田独歩「二老人」青空文庫>
  15. ・・・ 十一日午前七時青森に着き、田中某を訪う。この行風雅のためにもあらざれば吟哦に首をひねる事もなく、追手を避けて逃ぐるにもあらざれば駛急と足をひきずるのくるしみもなし。さればまことに弥次郎兵衛の一本立の旅行にて、二本の足をうごかし、三本た・・・<幸田露伴「突貫紀行」青空文庫>
  16. ・・・三先輩は打揃って茅屋を訪うてくれた。いずれも自分の親としてよい年輩の人々で、その中の一人は手製の東坡巾といったようなものを冠って、鼠紬の道行振を被ているという打扮だから、誰が見ても漢詩の一つも作る人である。他の二人も老人らしく似つこらしい打・・・<幸田露伴「野道」青空文庫>
  17. ・・・しかし長頭丸が植通公を訪うた時、この頃何かの世間話があったかと尋ねられたのに答えて、「聚落の安芸の毛利殿の亭にて連歌の折、庭の紅梅につけて、梅の花神代もきかぬ色香かな、と紹巴法橋がいたされたのを人褒め申す」と答えたのにつけて、神代もきかぬと・・・<幸田露伴「魔法修行者」青空文庫>
  18. ・・・しかしその日は塾の同僚を訪うよりも、足の向くままに、好きな田圃道を歩き廻ろうとした。午後に、彼は家を出た。 岩と岩の間を流れ落ちる谷川は到るところにあった。何度歩いても飽きない道を通って、赤坂裏へ出ると、青麦の畠が彼の眼に展けた。五度熟・・・<島崎藤村「岩石の間」青空文庫>
  19. ・・・ ここを訪うみちみち私は、深田氏を散歩に誘い出して、一緒にお酒をたくさん呑もう悪い望や、そのほかにも二つ三つ、メフィストのささやきを準備して来た筈であったのに、このような物静かな生活に接しては、われの暴い息づかいさえはばかられ、一ひらの・・・<太宰治「狂言の神」青空文庫>
  20. ・・・ 花を尋ねたり、墓を訪うたり、美しい夢ばかり見ていたあの頃の自分には、このイタリア人は暗い黄泉の闇に荒金を掘っている亡者か何かのように思われた。とにかく一種侮蔑の念を抑える訳に行かなかった。日露戦争の時分には何でもロシアの方に同情して日・・・<寺田寅彦「イタリア人」青空文庫>
  21. ・・・南洋孤島の酋長東都を訪うて鉄道馬車の馬を見、驚いてあれは人食う動物かと問う、聞いて笑わざる人なし。笑う人は馬の名を知り馬の用を知り馬の性情形態を知れどもついに馬を知る事はできぬのである。馬を知らんと思う者は第一に馬を見て大いに驚き、次に大い・・・<寺田寅彦「知と疑い」青空文庫>
  22. ・・・ わたくしが菊塢の庭を訪うのも亦斯くの如くである。老人が靉靆の力を借るが如く、わたくしは電車と乗合自動車に乗って向島に行き、半枯れかかっている病樹の下に立って更に珍しくもない石碑の文をよみ、また朽廃した林亭の縁側に腰をかけては、下水のよ・・・<永井荷風「百花園」青空文庫>
  23. ・・・かくの如き昔ながらの汚い光景は、わたくしをして、二十年前亡友A氏と共にしばしばこのあたりの古寺を訪うた頃の事やら、それよりまた更に十年のむかし噺家の弟子となって、このあたりの寄席、常盤亭の高座に上った時の事などを、歴々として思い起させるので・・・<永井荷風「深川の散歩」青空文庫>
  24. ・・・それらのために、わたくしは今年昭和十一年の春、たまたま放水路に架せられた江北橋を渡るその日まで、指を屈すると実に二十有二年、一たびも曾遊の地を訪う機会がなかった。        * 大正九年の秋であった。一日深川の高橋から行・・・<永井荷風「放水路」青空文庫>
  25. ・・・     三 袖 可憐なるエレーンは人知らぬ菫の如くアストラットの古城を照らして、ひそかに墜ちし春の夜の星の、紫深き露に染まりて月日を経たり。訪う人は固よりあらず。共に住むは二人の兄と眉さえ白き父親のみ。「騎士はいずれに・・・<夏目漱石「薤露行」青空文庫>
  26.  明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめ・・・<福沢諭吉「京都学校の記」青空文庫>
  27.  本郷の金助町に何がしを訪うての帰り例の如く車をゆるゆると歩ませて切通の坂の上に出た。それは夜の九時頃で、初冬の月が冴え渡って居るから病人には寒く感ぜられる。坂を下りながら向うを見ると遠くの屋根の上に真赤な塊が忽ち現れたのでちょっと驚い・・・<正岡子規「熊手と提灯」青空文庫>
  28. ・・・我学友はあるいは台湾に往き、あるいは欧羅巴に遊ぶ途次、わざわざ門司から舟を下りて予を訪うてくれる。中にはまた酔興にも東京から来て、ここに泊まって居て共に学ぶものさえある。我官僚は初の間は虚名の先ず伝ったために、あるいは小説家を以て予を待った・・・<森鴎外「鴎外漁史とは誰ぞ」青空文庫>
  29. ・・・この事は龍之介さんがわたくしを訪うに先だって小島政二郎さんがわたくしに報じてくれた。 わたくしはまた香以伝に願行寺の香以の墓に詣る老女のあることを書いた。そしてその老女が新原元三郎という人の妻だと云った。芥川氏に聞けば、老女は名をえいと・・・<森鴎外「細木香以」青空文庫>
  30. ・・・そうして十月十日の日記には「午前井上先生を訪う。先生の日本哲学をかける小冊子を送らる。……元良先生を訪う。小生の事は今年は望みなしとの事なり」と記されている。多分東京大学での講義のことであろう。この学期から初めて講師になって哲学の講義を受け・・・<和辻哲郎「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」青空文庫>