とう‐しゅ〔タウ‐〕【当主】例文一覧 15件

  1. ・・・だから、その当主たる斉広が、金無垢の煙管を持つと云う事は、寧ろ身分相当の装飾品を持つのに過ぎないのである。 しかし斉広は、その煙管を持っている事を甚だ、得意に感じていた。もっとも断って置くが、彼の得意は決して、煙管そのものを、どんな意味・・・<芥川竜之介「煙管」青空文庫>
  2. ・・・ その稲見の当主と云うのは、ちょうど私と同期の法学士で、これが会社にも関係すれば、銀行にも手を出していると云う、まあ仲々の事業家なのです。そんな関係上、私も一二度稲見のために、ある便宜を計ってやった事がありました。その礼心だったのでしょ・・・<芥川竜之介「黒衣聖母」青空文庫>
  3. ・・・である。―― 何よりもまず、「家」である。当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、乃祖板倉四郎左衛門勝重以来、未嘗、瑕瑾を受けた事のない名家である。二代又左衛門重宗が、父の跡をうけて、所司代として令聞があったの・・・<芥川竜之介「忠義」青空文庫>
  4. ・・・太常の家は孫の代になって、君兪というものが当主であった。君兪は名家に生れて、気位も高く、かつ豪華で交際を好む人であったので、九如は大金を齎らして君兪のために寿を為し、是非ともどうか名高い定鼎を拝見して、生平の渇望を慰したいと申出した。君兪は・・・<幸田露伴「骨董」青空文庫>
  5. ・・・分が極貧の家に生れて、しかも学歴は高等小学校を卒業したばかりで、あなたが大金持の(この言葉は、いやな言葉ですが、ブルジョアとかいう言葉は、いっそういやですし、他に適切な言葉も、私の貧弱な語彙を以華族の当主で、しかもフランス留学とかの派手な学・・・<太宰治「風の便り」青空文庫>
  6. ・・・まさしく、殿様と家来である。当主の惣兵衛氏は、まだ若い。若いと言っても、もう四十は越している。東京帝国大学の経済科を卒業してから、フランスへ行き、五、六年あそんで、日本へ帰るとすぐに遠い親戚筋の家その家のひとり娘、静子さんと結婚した。夫婦の・・・<太宰治「水仙」青空文庫>
  7. ・・・いまはもう、代がかわって芹川さんのお兄さんが、当主となって朝から晩まで一生懸命に働いて居ります。おかみさんも、仲々の働き者らしく、いつも帳場に坐って電話の注文を伺っては、てきぱき小僧さんたちに用事を言いつけて居ります。私とお友達だった芹川さ・・・<太宰治「誰も知らぬ」青空文庫>
  8. ・・・その時の当主ジョン・ストラットは Maldon からの M. P. として選出された。この人の長子は早世し、次男の Joseph Halden Struttが家を継いだ。彼は陸軍大佐となり王党の国会議員となり、Duke of Leinste・・・<寺田寅彦「レーリー卿(Lord Rayleigh)」青空文庫>
  9. ・・・ 本田家の当主は、家族の者と主治医とに守られて、陶製のもののように、何も考えることも感じることも出来なくなった頭を、氷枕と氷嚢との間に挟んでいた。 家族の人たち、当主の妻と、その子供である、二人の息子と三人の娘とは、何かを待つような・・・<葉山嘉樹「乳色の靄」青空文庫>
  10. ・・・ 追腹を切って阿部彌一右衛門は死んでしまったが、そうやって死んでも阿部一族への家中の侮蔑は深まるばかりで、その重圧に鬱屈した当主の権兵衛が先代の一周忌の焼香の席で、髻を我から押し切って、先君の位牌に供え、武士を捨てようとの決心を示した。・・・<宮本百合子「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」青空文庫>
  11. ・・・ 救われた若者は、町で有名な海老屋という呉服屋の息子で、当主の弟にあたる人であったのである。 名乗られると、急にどよめき立った者達は、ふだんは使わない取って置きのいい言葉で御機嫌をとろうとするので、大の男までときどき途方もないとんち・・・<宮本百合子「禰宜様宮田」青空文庫>
  12. ・・・どうぞ死ぬることだけは思い止まって、御当主にご奉公してくれい」と言った。 五助はどうしても聴かずに、五月七日にいつも牽いてお供をした犬を連れて、追廻田畑の高琳寺へ出かけた。女房は戸口まで見送りに出て、「お前も男じゃ、お歴々の衆に負けぬよ・・・<森鴎外「阿部一族」青空文庫>
  13. ・・・ さりながら一旦切腹と思定め候某、竊に時節を相待ちおり候ところ、御隠居松向寺殿は申に及ばず、その頃の御当主妙解院殿よりも出格の御引立を蒙り、寛永九年御国替の砌には、松向寺殿の御居城八代に相詰め候事と相成り、あまつさえ殿御上京の御供にさえ・・・<森鴎外「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」青空文庫>
  14. ・・・秀麿と大した点数の懸隔もなくて、優等生として銀時計を頂戴した同科の新学士は、文部省から派遣せられる筈だのに、現にヨオロッパにいる一人が帰らなくては、経費が出ないので、それを待っているうちに、秀麿の方は当主の五条子爵が先へ立たせてしまった。子・・・<森鴎外「かのように」青空文庫>
  15. ・・・ 翌年は明和五年で伊織の弟宮重はまだ七五郎と云っていたが、主家のその時の当主松平石見守乗穏が大番頭になったので、自分も同時に大番組に入った。これで伊織、七五郎の兄弟は同じ勤をすることになったのである。 この大番と云う役には、京都二条・・・<森鴎外「じいさんばあさん」青空文庫>