奈良市にある華厳宗の大本山。南都七大寺の一。聖武天皇の発願により創建。行基が勧進し、良弁 (ろうべん) が開山。本尊の盧舎那 (るしゃな) 仏(奈良の大仏)の開眼供養は天平勝宝4年(752)。同6年には鑑真が来日して戒壇院を創設、三大戒壇の中心となる。のち、度々の兵火で被害を受けたが、平安時代末の重源や江戸時代の公慶によって復興。建造物の多くが国宝で、奈良時代の遺構として転害門 (てがいもん) 、法華堂、正倉院などとともに創建当時の不空絹索観音、日光・月光菩薩像をはじめ、各時代の美術品・文化財を多数残している。宝永6年(1709)再建の大仏殿は、日本最大の木造建造物。平成10年(1998)「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。金光明四天王護国寺。総国分寺。大華厳寺。→奈良の大仏
出典:gooニュース
『東大寺』奈良時代には高さ約70メートルの「七重塔」が存在 上部の巨大「相輪」を支える安定感ある構造
そして2015年、東大寺が塔があったとされる場所を初めて発掘したところ、東側の東塔を支える基礎の部分が見つかった。東大寺の依頼を受けた奈良文化財研究所は、およそ6年をかけてその姿を明らかにしようと研究を続けてきた。そして今回、明らかにされた姿は、五重塔ならぬ「七重塔」。
東大寺「東塔」の高さは当時最大級の68メートル 平安時代に焼き討ちで消失 奈文研が復元めぐり調査結果
奈良市の東大寺にかつてあったという2基の塔の復元に向け調査を進める奈良文化財研究所(奈文研)は、2基のうち「東塔」と呼ばれていた塔の高さが約68メートルだったという調査結果を発表しました。当時としては最大級の塔だったとみられています。 奈文研によりますと、東大寺では奈良時代に大仏殿の南に2基の七重塔が東西に建てられました。
【速報】奈良・東大寺の“幻”の68メートル「七重の塔」の姿を復元 平安末期に平清盛の命令で焼失 長年の高さ論争に終止符
奈良の世界遺産「東大寺」に1200年以上前に建てられ、平安時代末期に焼失した「七重の塔」の姿が、研究によって明らかにされました。 奈良の東大寺には、奈良時代(764年)に「東塔(とうとう)」と呼ばれる七重の塔が建てられ、当時、日本最大級の高さの建物でした。しかし、1180年、当時権勢をふるっていた平清盛の命令で東大寺は焼き討ちされ(南都焼討)、この火災で東塔は焼失。
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出典:青空文庫
・・・薬師寺で拾った瓦や、東大寺で買った鐘や、いろ/\のものが入っている・・・ 小川未明「舞子より須磨へ」
・・・どこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるという。東大寺・・・ 正岡子規「くだもの」
・・・の君虫干や甥の僧訪ふ東大寺祇園会や僧の訪ひよる梶がもと味噌汁をく・・・ 正岡子規「俳人蕪村」