どん‐てん【曇天】例文一覧 30件

  1. ・・・ ところが三月の二十何日か、生暖い曇天の午後のことである。保吉はその日も勤め先から四時二十分着の上り列車に乗った。何でもかすかな記憶によれば、調べ仕事に疲れていたせいか、汽車の中でもふだんのように本を読みなどはしなかったらしい。ただ窓べ・・・<芥川竜之介「お時儀」青空文庫>
  2. ・・・ただ、周囲には多くの硝子戸棚が、曇天の冷い光の中に、古色を帯びた銅版画や浮世絵を寂然と懸け並べていた。本多子爵は杖の銀の握りに頤をのせて、しばらくはじっとこの子爵自身の「記憶」のような陳列室を見渡していたが、やがて眼を私の方に転じると、沈ん・・・<芥川竜之介「開化の良人」青空文庫>
  3. ・・・ ある生温かい曇天の午後、ラップは得々と僕といっしょにこの大寺院へ出かけました。なるほどそれはニコライ堂の十倍もある大建築です。のみならずあらゆる建築様式を一つに組み上げた大建築です。僕はこの大寺院の前に立ち、高い塔や円屋根をながめた時・・・<芥川竜之介「河童」青空文庫>
  4. ・・・庭の向うに続いた景色も、曇天を映した川の水と一しょに、荒涼を極めたものだった。が、その景色が眼にはいると、お蓮は嗽いを使いがら、今までは全然忘れていた昨夜の夢を思い出した。 それは彼女がたった一人、暗い藪だか林だかの中を歩き廻っている夢・・・<芥川竜之介「奇怪な再会」青空文庫>
  5. ・・・自分はやっと日の暮に病院へ出かける時間を得た。曇天はいつか雨になっていた。自分は着物を着換えながら、女中に足駄を出すようにと云った。そこへ大阪のN君が原稿を貰いに顔を出した。N君は泥まみれの長靴をはき、外套に雨の痕を光らせていた。自分は玄関・・・<芥川竜之介「子供の病気」青空文庫>
  6. ・・・高い曇天の山の前に白壁や瓦屋根を積み上げた長沙は予想以上に見すぼらしかった。殊に狭苦しい埠頭のあたりは新しい赤煉瓦の西洋家屋や葉柳なども見えるだけに殆ど飯田河岸と変らなかった。僕は当時長江に沿うた大抵の都会に幻滅していたから、長沙にも勿論豚・・・<芥川竜之介「湖南の扇」青空文庫>
  7. ・・・……       ――――――――――――――――――――――――― 岩とも泥とも見当のつかぬ、灰色をなすった断崖は高だかと曇天に聳えている。そのまた断崖のてっぺんは草とも木とも見当のつかぬ、白茶けた緑を煙らせている。保吉は・・・<芥川竜之介「十円札」青空文庫>
  8. ・・・が、両大師前にある木などは曇天を透かせた枝々に赤い蕾を綴っている。こういう公園を散歩するのは三重子とどこかへ出かけるよりも数等幸福といわなければならぬ。…… 二時二十分! もう十分待ちさえすれば好い。彼は帰りたさをこらえたまま、標本室の・・・<芥川竜之介「早春」青空文庫>
  9. ・・・ 或生暖かい曇天の午後、僕は或雑貨店へインクを買いに出かけて行った。するとその店に並んでいるのはセピア色のインクばかりだった。セピア色のインクはどのインクよりも僕を不快にするのを常としていた。僕はやむを得ずこの店を出、人通りの少ない往来・・・<芥川竜之介「歯車」青空文庫>
  10. ・・・彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思う程、揃って背が低かった。そうして又この町はずれの陰惨たる風物と同じような色の着物を着ていた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分ら・・・<芥川竜之介「蜜柑」青空文庫>
  11. ・・・きょうは、曇天、日曜である。セルの季節で、この陰鬱の梅雨が過ぎると、夏がやって来るのである。みんな客間に集って、母は、林檎の果汁をこしらえて、五人の子供に飲ませている。末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。 退屈したときには、皆で・・・<太宰治「愛と美について」青空文庫>
  12. ・・・小径をへだてて大小凸凹の岩がならび、そのかげからひろびろと池がひろがっている。曇天の下の池の面は白く光り、小波の皺をくすぐったげに畳んでいた。右足を左足のうえに軽くのせてから、われは呟く。 ――われは盗賊。 まえの小径を大学生たちが・・・<太宰治「逆行」青空文庫>
  13. ・・・草はらのむこうには、赤濁りに濁った海が、低い曇天に押しつぶされ、白い波がしらも無しに、ゆらりゆらり、重いからだをゆすぶっていて、窓のした、草はらのうえに捨てられてある少し破れた白足袋は、雨に打たれ、女の青い縞のはんてんを羽織って立っている私・・・<太宰治「狂言の神」青空文庫>
  14. ・・・そうして、それくらい離れて歩いているのに、二人の歩調が、いつのまにか、ぴったり合ってしまって、困りました。曇天で、風が少しあって、海岸には砂ほこりが立っていました。「ここが、いいわ」 岸にあがっている大きい漁船と漁船のあいだに花江さ・・・<太宰治「トカトントン」青空文庫>
  15. ・・・火葬場の煙突のような大きい煙突が立っていた。曇天である。省線のガードが見える。 給仕人に背を向けて窓のそとを眺めたまま、「コーヒーと、それから、――」言いかけて、しばらくだまっていた。くるっと給仕人のほうへ向き直り、「まあ、いい。外・・・<太宰治「火の鳥」青空文庫>
  16. ・・・あとはもう、陰鬱な曇天つづきで木枯しの風ばかり吹きすさぶ。「実はね、」と医師はへんな微笑を浮べ、「配給のリンゴ酒が二本ありましてね、僕は飲まないのですが、君に一つ召上っていただいて、ゆっくり東京の空襲の話でも聞きたいと考えていたのです。・・・<太宰治「やんぬる哉」青空文庫>
  17. ・・・たいてい、曇天の日曜などに、兄妹五人、客間に集っておそろしく退屈して来ると、長兄の発案で、はじめるのである。ひとりが、思いつくままに勝手な人物を登場させて、それから順々に、その人物の運命やら何やらを捏造していって、ついに一篇の物語を創造する・・・<太宰治「ろまん燈籠」青空文庫>
  18. ・・・ 窓際の籐椅子に腰かけて、正面に聳える六百山と霞沢山とが曇天の夕空の光に照らされて映し出した色彩の盛観に見惚れていた。山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく・・・<寺田寅彦「雨の上高地」青空文庫>
  19. ・・・これに反して曇天では、輻射の関係で上記の原因が充分に発達しない、のみならずそれが低気圧などの近づいた場合だと、この影響として現われる風がこのような地方的の風に干渉していわゆる海陸風の純粋な発達を隠してしまう。しかし、そのような場合でも詳細に・・・<寺田寅彦「海陸風と夕なぎ」青空文庫>
  20. ・・・ 八月になってから雨天や曇天がしばらく続いて涼み台も片隅の戸袋に立てかけられたままに幾日も経った。 ある朝新聞を見ていると、今年卒業した理学士K氏が流星の観測中に白鳥星座に新星を発見したという記事が出ていた。その日の夕方になると涼み・・・<寺田寅彦「小さな出来事」青空文庫>
  21.  九月五日動物園の大蛇を見に行くとて京橋の寓居を出て通り合わせの鉄道馬車に乗り上野へ着いたのが二時頃。今日は曇天で暑さも薄く道も悪くないのでなかなか公園も賑おうている。西郷の銅像の後ろから黒門の前へぬけて動物園の方へ曲ると外・・・<寺田寅彦「根岸庵を訪う記」青空文庫>
  22.        一 昭和九年八月三日の朝、駒込三の三四九、甘納豆製造業渡辺忠吾氏が巣鴨警察署衛生係へ出頭し「十日ほど前から晴天の日は約二千、曇天でも約五百匹くらいの蜜蜂が甘納豆製造工場に来襲して困る」と訴え出たという記・・・<寺田寅彦「破片」青空文庫>
  23. ・・・寒い曇天無風の夜九段坂上から下町を見るといわゆるロンドンフォッグを思わせるものがある。これも市民のモーラルを支配しないわけにはゆかないであろう。       五 上野のデパートメントストアの前を通ったら広小路側の舗道に幕を張・・・<寺田寅彦「LIBER STUDIORUM」青空文庫>
  24. ・・・きょうは、曇天ではあるが気候は暖かで、私は毛糸のむくむくした下へ着るものは我知らずぬいでいるくらいです。今年はこれから一月一杯オーバーなしですごせる程の暖い正月だとあったけれども、どうかしら。そちらはこの暖かさがどの位おわかりになるのでしょ・・・<宮本百合子「獄中への手紙」青空文庫>
  25. ・・・ 十一月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 十一月十一日 水 第十九信 曇天      午後二時外苑で三万人の学生や青年団が音楽祭をやって君ガ代をうたっている ラジオ。 きのうは、先月のときから見ると、や・・・<宮本百合子「獄中への手紙」青空文庫>
  26. ・・・汲出櫓の上に登っているのであるが、右手を見ると、粗末な石垣のすぐそこから曇天と風とで荒々しく濁ったカスピ海がひろがり、海の中へも一基、二基、三基と汲出櫓が列をなしてのり込んで行っている。 風と海のざわめきとの間にも微かなキューキューいう・・・<宮本百合子「石油の都バクーへ」青空文庫>
  27. ・・・ 今日は四月上旬の穏かな気温と眠い艷のない曇天とがある。机に向っていながら、何のはずみか、私は胸が苦しくなる程、その田舎の懐しさに襲われた。斯うやっていても、耕地の土の匂い裸足で踏む雑草の感触がまざまざと皮膚に甦って来る。――子供の時分・・・<宮本百合子「素朴な庭」青空文庫>
  28.  近くには黄色く根っ株の枯れた田圃と桑畑、遠くにはあっちこっちに木立と森。走りながら単調な窓外の景色は、時々近く曇天の下に吹きつけられて来る白い煙の千切れに遮られる。 スチームのとおっている汽車の中はどっちかというと閑散・・・<宮本百合子「東京へ近づく一時間」青空文庫>
  29. ・・・其故、花や陶器の放つ色彩が、圧迫的に曇天の正午を生活して居るように感じられる。程経って若い亜米利加の男が一人入って来た。入口に近い定席につくや否や、彼は、押えきれないらしい大きな倦怠から、うんと伸びをした。前菜を捧げた給仕に、苦笑し乍ら呟く・・・<宮本百合子「長崎の一瞥」青空文庫>
  30. ・・・     五月二十日 雨もよいの湿っぽい午後 五時前 曇天の下に目の前の新緑はぼさぼさと見えた。 大工の働いている新築の工事場で 全体の光景がいつもより手近に見え しめりをふくんで/しめっぽく 新しい木の匂い、おがく・・・<宮本百合子「窓からの風景(六月――)」青空文庫>