におい〔にほひ〕【匂い】例文一覧 30件

  1. ・・・僕らはこういう静かさの中に――高山植物の花の香に交じったトックの血の匂いの中に後始末のことなどを相談しました。しかしあの哲学者のマッグだけはトックの死骸をながめたまま、ぼんやり何か考えています。僕はマッグの肩をたたき、「何を考えているのです・・・<芥川竜之介「河童」青空文庫>
  2. ・・・人と話しをしている時は勿論、独りでいる時でも、彼はそれを懐中から出して、鷹揚に口に啣えながら、長崎煙草か何かの匂いの高い煙りを、必ず悠々とくゆらせている。 勿論この得意な心もちは、煙管なり、それによって代表される百万石なりを、人に見せび・・・<芥川竜之介「煙管」青空文庫>
  3. ・・・短い日が存分西に廻って、彼の周囲には、荒くれた北海道の山の中の匂いだけがただよっていた。 監督を先頭に、父から彼、彼から小作人たちが一列になって、鉄道線路を黙りながら歩いてゆくのだったが、横幅のかった丈けの低い父の歩みが存外しっかりして・・・<有島武郎「親子」青空文庫>
  4. ・・・犬の身の辺には新らしいチャンの匂いがする。 この別荘に来た人たちは皆好い人であった。その好い人が町を離れて此処で清い空気を吸って、緑色な草木を見て、平日よりも好い人になって居るのだ。初の内は子供を驚かした犬を逐い出してしまおうという人も・・・<著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外「犬」青空文庫>
  5. ・・・ 留守はただ磯吹く風に藻屑の匂いの、襷かけたる腕に染むが、浜百合の薫より、空燻より、女房には一際床しく、小児を抱いたり、頬摺したり、子守唄うとうたり、つづれさしたり、はりものしたり、松葉で乾物をあぶりもして、寂しく今日を送る習い。 ・・・<泉鏡花「海異記」青空文庫>
  6. ・・・……淡い膏も、白粉も、娘の匂いそのままで、膚ざわりのただ粗い、岩に脱いだ白足袋の裡に潜って、熟と覗いていたでしゅが。一波上るわ、足許へ。あれと裳を、脛がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、・・・<泉鏡花「貝の穴に河童の居る事」青空文庫>
  7. ・・・平生白い顔が夜目に見るせいか、匂いのかたまりかと思われるほど美しい。かすかにおとよさんの呼吸の音の聞き取れた時、省作はなんだかにわかに腹のどこかへ焼金を刺されたようにじりじりっと胸に響いた。 はたして省作の胸に先刻起こった、不埒な女だと・・・<伊藤左千夫「隣の嫁」青空文庫>
  8. ・・・歿後遺文を整理して偶然初度の原稿を検するに及んで、世間に発表した既成の製作と最始の書き卸しと文章の調子や匂いや味いがまるで別人であるように違ってるのを発見し、二葉亭の五分も隙がない一字の増減をすら許さない完璧の文章は全く千鍜万錬の結果に外な・・・<内田魯庵「二葉亭余談」青空文庫>
  9. ・・・そこへ、女のお客さまがあると、へやじゅうは香水の匂いでいっぱいになります。テーブルの上には、カーネーションや、リリーや、らんの花などが盛られて、それらの草花の香気も混じって、なんともいえない、ちょうど南国の花園にいったときのような感じをさせ・・・<小川未明「煙突と柳」青空文庫>
  10. ・・・ある夜、暗い道を自分の淋しい下駄の音をききながら、歩いていると、いきなり暗がりに木犀の匂いが閃いた。私はなんということもなしに胸を温めた。雨あがりの道だった。 二、三日してアパートの部屋に、金木犀の一枝を生けて置いた。その匂いが私の孤独・・・<織田作之助「秋の暈」青空文庫>
  11. ・・・抱きあげて見ると、その仔猫には、いつも微かな香料の匂いがしている。 夢のなかの彼女は、鏡の前で化粧していた。私は新聞かなにかを見ながら、ちらちらその方を眺めていたのであるが、アッと驚きの小さな声をあげた。彼女は、なんと! 猫の手で顔へ白・・・<梶井基次郎「愛撫」青空文庫>
  12. ・・・笑顔の匂いは言わん方なし。 親子、国色、東京のもの、と辰弥は胸に繰り返しつつ浴場へと行きぬ。あとより来るは布袋殿なり。上手に一つ新しく設らえたる浴室の、右と左の開き扉を引き開けて、二人はひとしく中に入りぬ。心も置かず話しかくる辰弥の声は・・・<川上眉山「書記官」青空文庫>
  13. ・・・生命の美と、匂いと、液汁とを失っては娘ではない。だが牢記せよ、感覚と肉体と情緒とを超越して高まろうとするあるものを欠いた恋は低卑である。このあるもの、霊の酵母がないと防腐剤がない肉のように、恋は臭いを発するようになる。情緒の過剰は品位を低く・・・<倉田百三「女性の諸問題」青空文庫>
  14. ・・・体臭にまで豚小屋と土の匂いがしみこんで居る。「豚群」とか「二銭銅貨」などがその身体つきによく似合って居る。ハイカラ振ったり、たまに洋服をきて街を歩いたりしているが、そんなことはどう見たって性に合わない。都会人のまねはやめろ! なんと云っ・・・<黒島伝治「自画像」青空文庫>
  15. ・・・それで中庭に籠っている空気は鉛の匂いがする。この辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子の背後にも、物珍らしげに、好い気味だと云うような顔をして、覗いている人があるように感ぜられた。ふと気が・・・<太宰治「女の決闘」青空文庫>
  16. ・・・ことに、女の髪の匂いというものは、一種のはげしい望みを男に起こさせるもので、それがなんとも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。 市谷、牛込、飯田町と早く過ぎた。代々木から乗った娘は二人とも牛込でおりた。電車は新陳代謝して、ますます・・・<田山花袋「少女病」青空文庫>
  17. ・・・ 星野温泉行のバスが、千ヶ滝道から右に切れると、どこともなくぷんと強い松の匂いがする。小松のみどりが強烈な日光に照らされて樹脂中の揮発成分を放散するのであろう。この匂いを嗅ぐと、少年時代に遊び歩いた郷里の北山の夏の日の記憶が、一度に爆発・・・<寺田寅彦「浅間山麓より」青空文庫>
  18. ・・・お絹はしばらくすると、鮎の塩焼をもって上がってきて、匂いをかいでみながら、「これで一杯おやりなさい」 それは森宗匠がわざわざ遠方から取り寄せてくれたものであった。「芝居はどうやったいに」老母は尋ねた。「何しろ暑いんでね」「越・・・<徳田秋声「挿話」青空文庫>
  19. ・・・ 三吉があわてて電灯の灯の方へ顔をむけると、気のいい人の要慎なさで、白粉の匂いと一緒に顔をくっつけながら、「あなたは、それでいいんですか?」 といった。三吉はくらい方をむいたままうなずいた。すっかり夜になって、草すだれなどつるし・・・<徳永直「白い道」青空文庫>
  20. ・・・とした赤行燈を出し、葭簀で囲いをした居酒屋から、※を焼く匂いがしている。溝際には塀とも目かくしともつかぬ板と葭簀とが立ててあって、青木や柾木のような植木の鉢が数知れず置並べてある。 ここまでは、一人も人に逢わなかったが、板塀の彼方に奉納・・・<永井荷風「寺じまの記」青空文庫>
  21. ・・・least poor とは物匂い形容詞だ。或る公園で男女二人連があれは支那人だいや日本人だと争っていたのを聞た事がある。二三日前さる所へ呼ばれてシルクハットにフロックで出かけたら、向うから来た二人の職工みたような者が a handsome ・・・<夏目漱石「倫敦消息」青空文庫>
  22. ・・・すべての感覚が解放され、物の微細な色、匂い、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気には、死屍のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩まって行った。此所に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起・・・<萩原朔太郎「猫町」青空文庫>
  23. ・・・潮の匂いが清々しかった。次には、浚渫船で蒸汽を上げるのに、ウント放り込んだ石炭が、そのまま熔けたような濃い烟になって、私の鼻っ面を掠めた。 それは、総て健康な、清々しい情景であり、且つ「朝」の溌溂さを持っていた。 船体の動揺の刹那ま・・・<葉山嘉樹「浚渫船」青空文庫>
  24. ・・・オオビュルナンはマドレエヌの昔使っていた香水の匂い、それから手箱の蓋を取って何やら出したこと、それからその時の室内の午後の空気を思い出した。この記念があんまりはっきりしているので、三十三歳の世慣れ切った小説家の胸が、たしかに高等学校時代の青・・・<著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外「田舎」青空文庫>
  25. ・・・○くだものと香 熱帯の菓物は熱帯臭くて、寒国の菓物は冷たい匂いがする。しかし菓物の香気として昔から特に賞するのは柑類である。殊にこの香ばしい涼しい匂いは酸液から来る匂いであるから、酸味の強いものほど香気が高い。柚橙の如きはこれである。そ・・・<正岡子規「くだもの」青空文庫>
  26. ・・・重力は互に打ち消され冷たいまるめろの匂いが浮動するばかりだ。だからあの天衣の紐も波立たずまた鉛直に垂 けれどもそのとき空は天河石からあやしい葡萄瑪瑙の板に変りその天人の翔ける姿をもう私は見ませんでした。(やっぱりツェラの高原だ。ほん・・・<宮沢賢治「インドラの網」青空文庫>
  27. ・・・こんにち客観すれば、当時の転向問題の扱いかたの多くは、本質において検事局的な匂いをふくんでいるか、あるいは、傷つかない傍観者の正義感の自己満足の要素がなくはなかった。「冬を越す蕾」で、日本の近代社会にのこされている半封建性と、その影響を・・・<宮本百合子「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」青空文庫>
  28. ・・・勢いよく吹くのは野分の横風……変則の匂い嚢……血腥い。 はや下ななつさがりだろう、日は函根の山の端に近寄ッて儀式とおり茜色の光線を吐き始めると末野はすこしずつ薄樺の隈を加えて、遠山も、毒でも飲んだかだんだんと紫になり、原の果てには夕暮の・・・<山田美妙「武蔵野」青空文庫>
  29. ・・・二人の争いは、トルコの香料の匂いを馥郁と撒き散らしながら、寝台の方へ近づいて行った。緞帳が閉められた。ペルシャの鹿の模様は暫く緞帳の襞の上で、中から突き上げられる度毎に脹れ上って揺れていた。「陛下、お気をお鎮めなさりませ。私はジョセフィ・・・<横光利一「ナポレオンと田虫」青空文庫>
  30. ・・・ゾラには強く作為の匂いがする。そして心理が浅くかつ足りない。その上かなり冗漫である。ストリンドベルヒはこれに反して社会の断層を描くのに自伝的の匂いをもって貫ぬいている。心理は鋭く、描写はカリカチュアに近いほど鮮やかである。しかも彼の心理観察・・・<和辻哲郎「生きること作ること」青空文庫>