ねん‐だい【年代】例文一覧 30件

  1. ・・・ 何でも明治三十年代に萩野半之丞と言う大工が一人、この町の山寄りに住んでいました。萩野半之丞と言う名前だけ聞けば、いかなる優男かと思うかも知れません。しかし身の丈六尺五寸、体重三十七貫と言うのですから、太刀山にも負けない大男だったのです・・・<芥川竜之介「温泉だより」青空文庫>
  2. ・・・ 何でも稲見の母親が十か十一の秋だったそうです。年代にすると、黒船が浦賀の港を擾がせた嘉永の末年にでも当りますか――その母親の弟になる、茂作と云う八ツばかりの男の子が、重い痲疹に罹りました。稲見の母親はお栄と云って、二三年前の疫病に父母・・・<芥川竜之介「黒衣聖母」青空文庫>
  3. ・・・その中で、最も古いのは、恐らくマシウ・パリスの編纂したセント・アルバンスの修道院の年代記に出ている記事であろう。これによると、大アルメニアの大僧正が、セント・アルバンスを訪れた時に、通訳の騎士が大僧正はアルメニアで屡々「さまよえる猶太人」と・・・<芥川竜之介「さまよえる猶太人」青空文庫>
  4. ・・・    ~~~~~~~~~~~~~~~~~ とにもかくにも、明治四十年代以後の詩は、明治四十年代以後の言葉で書かれねばならぬということは、詩語としての適不適、表白の便不便の問題ではなくて、新らしい詩の精神、すなわち時代の精神の必要で・・・<石川啄木「弓町より」青空文庫>
  5. ・・・唐の都でも、皆なが不思議がっておりますると、その日から三日目に、年代記にもないほどな大火事が起りまして。」「源助、源助。」 と雑所大きに急いて、「何だ、それは。胸へ人という字を書いたのは。」とかかる折から、自分で考えるのがまだる・・・<泉鏡花「朱日記」青空文庫>
  6. ・・・中には戯文や駄洒落の才を頼んで京伝三馬の旧套を追う、あたかも今の歌舞伎役者が万更時代の推移を知らないでもないが、手の出しようもなくて歌舞伎年代記を繰返していると同じであった。が、大勢は終に滔々として渠らを置去りにした。 かかる折から卒然・・・<内田魯庵「四十年前」青空文庫>
  7. ・・・ 一八五〇年代のロシアの学生が、「民衆の中に」行った気持には、悲壮なものがあった。彼等は、大学を捨てたばかりでなく、一切の都会的享楽から離れて、農村に走り、農奴と伍した。そして、自から耕牧して、彼等と共に、苦楽を分った。彼等の生活が正し・・・<小川未明「純情主義を想う」青空文庫>
  8. ・・・ なるほど、私たちの年代の者が、故郷故郷となつかしがるのはいかにも年寄じみて見えるだろう。けれど、思想のお化けの数が新造語の数ほどあって、しかも、どれをも信じまいとする心理主義から来る不安を、深刻がることを、若き知識人の特権だと思ってい・・・<織田作之助「東京文壇に与う」青空文庫>
  9. ・・・そこで、小説では場面場面の描写を簡略にし、年代記風のものを書きたいと思い、既に二作目の「雨」でそれをやった。してみれば、私の小説は、すくなくともスタイルは、戯曲勉強から逆説的に生れたものであると言えるだろう。私の小説の話術は、戯曲の科白のや・・・<織田作之助「わが文学修業」青空文庫>
  10. ・・・子も、孫も、その孫も、幾年代か鉱毒に肉体を侵蝕されてきた。荒っぽい、活気のある男が、いつか、蒼白に坑夫病た。そして、くたばった。 三代目の横井何太郎が、M――鉱業株式会社へ鉱山を売りこみ、自身は、重役になって東京へ去っても、彼等は、ここ・・・<黒島伝治「土鼠と落盤」青空文庫>
  11. ・・・明らかに狐を使った者は、応永二十七年九月足利将軍義持の医師の高天という者父子三人、将軍に狐を付けたこと露顕して、同十月讃岐国に流されたのが、年代記にまで出ている。やはり祇尼法であったろうことは思遣られるが、他の者に祈られて狐が二匹室町御所か・・・<幸田露伴「魔法修行者」青空文庫>
  12. ・・・明治年代も終りを告げて、回顧の情が人々の心の中に浮んで来た時に、どういう人の仕事を挙げるかという問に対しては、いつでも私は北村君を忘れられない人の一人に挙げて置いた。北村君の一番終いの仕事は、民友社から頼まれて書いたエマルソンの評伝であった・・・<島崎藤村「北村透谷の短き一生」青空文庫>
  13. ・・・は、だいたい、発表の年代順に、その作品の配列を行い、この第二巻は、それ故、第一巻の諸作品に直ぐつづいて発表せられたものの中から、特に十三篇を選んで編纂せられたのである。 ところで、私の最初の考えでは、この選集の巻数がいくら多くなってもか・・・<太宰治「『井伏鱒二選集』後記」青空文庫>
  14. ・・・あなたの年代の作家たちは、へんに子供みたいに正直ですね。私は呆れて、立ち上ったら、「ひでえ部屋にいやがる。」と学生みたいな若い口調で言って、のっそり私の部屋へはいって来られた。思っていたよりも小柄で、きれいなじいさんでした。白い歯をちらと見・・・<太宰治「風の便り」青空文庫>
  15. ・・・それは私たちの年代の、日本の知識人全部の問題かも知れない。私のこれまでの作品ことごとくを挙げて答えてもなお足りずとする大きい問題かも知れない。 私はサロン芸術を否定した。サロン思想を嫌悪した。要するに私は、サロンなるものに居たたまらなか・・・<太宰治「十五年間」青空文庫>
  16. ・・・ 私は青年――明治三十四五年から七八年代の日本の青年を調べて書いてみようと思った。そして、これを日本の世界発展の光栄ある日に結びつけようと思い立った。ことに、幸いであったのは、その小林秀三氏の日記が、中学生時代のものと、小学校教師時代と・・・<田山花袋「『田舎教師』について」青空文庫>
  17. ・・・これなどは思い切って切り詰め、年代いじりなどは抜きにして綱領だけに止めたい。特に古い時代の歴史などはずいぶん抜かしてしまっても吾人の生活に大した影響はない。私は学生がアレキサンダー大王その外何ダースかの征服者の事を少しも知らなくても、大した・・・<寺田寅彦「アインシュタインの教育観」青空文庫>
  18. ・・・いずれも明治年代に出来た俗な絵草紙である。天井の隅には拡げた日傘が吊してある。棚や煖炉の上には粗製の漆器や九谷焼などが並べてある。中にはドイツ製の九谷まがいも交じっているようであった。 B氏は私の不審がっているのを面白そうに眺めるだけで・・・<寺田寅彦「異郷」青空文庫>
  19. ・・・アメリカ人が一九三〇年代の今ごろになって、いくらかこの俳諧の世界の存在に気づいて来たように見えるのははなはだ興味の深いことである。そうして、そのうちに本家の老舗の日本人がこのアメリカ語に翻訳された「俳諧」の逆輸入をいかなる形式においてしおお・・・<寺田寅彦「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」青空文庫>
  20. ・・・雁の篇中に現れ来る人物と其背景とは明治十五六年代のものであろう。先生の大学を卒業せられたのは明治十七年であったので、即春の家主人が当世書生気質に描き出されたものと時代を同じくしているわけである。小説雁の一篇は一大学生が薄暮不忍池に浮んでいる・・・<永井荷風「上野」青空文庫>
  21. ・・・共に明治三十年代のことで、人はまだ日露戦争を知らなかった時である。 コスモスの花が東京の都人に称美され初めたのはいつ頃よりの事か、わたくしはその年代を審にしない。しかし概して西洋種の草花の一般によろこび植えられるようになったのは、大正改・・・<永井荷風「葛飾土産」青空文庫>
  22. ・・・試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文・・・<夏目漱石「私の個人主義」青空文庫>
  23. ・・・しかもそれは意識的にしたのでなく、偶然の結果からして、年代の錆がついて出来てるのだった。それは古雅で奥床しく、町の古い過去の歴史と、住民の長い記憶を物語っていた。町幅は概して狭く、大通でさえも、漸く二、三間位であった。その他の小路は、軒と軒・・・<萩原朔太郎「猫町」青空文庫>
  24. ・・・その後青山英和学校も仕合に出掛けたることありしかど年代は忘れたり。されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るまで十四、五年を費せりといえどもややその完備せるは二十三、四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分という有様なりしがこ・・・<正岡子規「ベースボール」青空文庫>
  25. 時  一九二〇年代処  盛岡市郊外人物 爾薩待 正  開業したての植物医師ペンキ屋徒弟農民 一農民 二農民 三農民 四農民 五農民 六幕あく。粗末なバラ・・・<宮沢賢治「植物医師」青空文庫>
  26. ・・・これに賛せざる諸君よ、諸君は尚かの中世の煩瑣哲学の残骸を以てこの明るく楽しく流動止まざる一千九百二十年代の人心に臨まんとするのであるか。今日宗教の最大要件は簡潔である。吾人の哲学はこの二語を以て既に千六百万人の世界各地に散在する信徒を得た。・・・<宮沢賢治「ビジテリアン大祭」青空文庫>
  27. ・・・ 一九二〇年代のドイツは、左翼が活躍し、ドイツ共産党も公然と存在していた時代であった。その時代に育ったエリカ・マンが民主主義の精神をもち、日に日につのるナチスの暴圧に反抗を感じたのは自然であった。エリカ・マンは、はじめ小論文や諷刺物語を・・・<宮本百合子「明日の知性」青空文庫>
  28. ・・・という小説に書いた時代からすすんで、こんにちではどこの国でも、一九二〇年代の終りから三〇年代にかけての日本にみられたような、世代の分裂、親と子の離反としてだけに止っていない。親と子、世代と世代とが、マルクシズムに対する観念上の対立というよう・・・<宮本百合子「新しい抵抗について」青空文庫>
  29. ・・・細川忠利が隈本城主になったのは寛永九年だから、これも年代が相違している。そこで丁度二条行幸の前寛永元年五月安南国から香木が渡った事があるので、それを使って、隈本を杵築に改めた。最後に興律は死んだ時何歳であったか分からない。しかし万治から溯る・・・<森鴎外「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」青空文庫>
  30.  キェルケゴオルのドイツ訳全集は一九〇九年から一九一四年へかけて出版せられた。その以前にも前世紀の末八〇年代から九〇年代へかけて彼の著書はかなり翻訳せられたが、宗教的著作のほかは、かなり厳密を欠いたものであった。 彼に関する研究は、・・・<和辻哲郎「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」青空文庫>