はく‐ぼ【薄暮】例文一覧 30件

  1. ・・・それは北京の柳や槐も黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある薄暮である。常子は茶の間の長椅子にぼんやり追憶に沈んでいた。彼女の唇はもう今では永遠の微笑を浮かべていない。彼女の頬もいつの間にかすっかり肉を失っている。彼女は失踪した夫のことだの、売・・・<芥川竜之介「馬の脚」青空文庫>
  2. ・・・自分はひとり、渡し船の舷に肘をついて、もう靄のおりかけた、薄暮の川の水面を、なんということもなく見渡しながら、その暗緑色の水のあなた、暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流したのを、おそらく終世忘れることはできないであろう。・・・<芥川竜之介「大川の水」青空文庫>
  3. ・・・』そこで私は徐に赤いモロッコ皮の椅子を離れながら、無言のまま、彼と握手を交して、それからこの秘密臭い薄暮の書斎を更にうす暗い外の廊下へ、そっと独りで退きました。すると思いがけなくその戸口には、誰やら黒い人影が、まるで中の容子でも偸み聴いてい・・・<芥川竜之介「開化の良人」青空文庫>
  4. ・・・(二人の乗っていた電車は、この時、薄暮<芥川竜之介「片恋」青空文庫>
  5. ・・・今やわが心霊界はおもむろに薄暮に沈まんとす。予は諸君と訣別すべし。さらば。諸君。さらば。わが善良なる諸君。 ホップ夫人は最後の言葉とともにふたたび急劇に覚醒したり。我ら十七名の会員はこの問答の真なりしことを上天の神に誓って保証せんとす。・・・<芥川竜之介「河童」青空文庫>
  6. ・・・蚊柱の声の様に聞こえて来るケルソン市の薄暮のささやきと、大運搬船を引く小蒸汽の刻をきざむ様な響とが、私の胸の落ちつかないせわしい心地としっくり調子を合わせた。 私は立った儘大運搬船の上を見廻して見た。 寂然して溢れる計り坐ったり立っ・・・<有島武郎「かんかん虫」青空文庫>
  7. ・・・り行く川面から灌ぎ込むのが、一揉み揉んで、どうと落ちる……一方口のはけ路なれば、橋の下は颯々と瀬になって、畦に突き当たって渦を巻くと、其処の蘆は、裏を乱して、ぐるぐると舞うに連れて、穂綿が、はらはらと薄暮あいを蒼く飛んだ。 ・・・<泉鏡花「海の使者」青空文庫>
  8. ・・・…………薄暮合には、よけい沢山飛びますの。」 ……思出した。故郷の町は寂しく、時雨の晴間に、私たちもやっぱり唄った。「仲よくしましょう、さからわないで。」 私はちょっかいを出すように、面を払い、耳を払い、頭を払い、袖を払った。茶・・・<泉鏡花「小春の狐」青空文庫>
  9. ・・・ この日の薄暮ごろに奈々子の身には不測の禍があった。そうして父は奈々子がこの世を去る数時間以前奈々子に別れてしまった。しかも奈々子も父も家におって……。いつもならば、家におればわずかの間見えなくとも、必ず子どもはどうしたと尋ねるのが常で・・・<伊藤左千夫「奈々子」青空文庫>
  10. ・・・ 遠い物干台の赤い張物板ももう見つからなくなった。 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩。     手品と花火 これはまた別の日。 夕飯と風呂を済ませて峻は城へ登った。 薄暮の空に、時どき、数里離れた市で花火をあ・・・<梶井基次郎「城のある町にて」青空文庫>
  11. ・・・そして薄暮の山の中へ下りてしまったのである。何のために? それは私の疲労が知っている。私は腑甲斐ない一人の私を、人里離れた山中へ遺棄してしまったことに、気味のいい嘲笑を感じていた。 樫鳥が何度も身近から飛び出して私を愕ろかした。道は小暗・・・<梶井基次郎「冬の蠅」青空文庫>
  12. ・・・ 堯はそう思いながら自分の部屋に目を注いだ。薄暮に包まれているその姿は、今エーテルのように風景に拡がってゆく虚無に対しては、何の力でもないように眺められた。「俺が愛した部屋。俺がそこに棲むのをよろこんだ部屋。あのなかには俺の一切の所・・・<梶井基次郎「冬の日」青空文庫>
  13. ・・・あるときは岬の港町へゆく自動車に乗って、わざと薄暮の峠へ私自身を遺棄された。深い溪谷が闇のなかへ沈むのを見た。夜が更けて来るにしたがって黒い山々の尾根が古い地球の骨のように見えて来た。彼らは私のいるのも知らないで話し出した。「おい。いつ・・・<梶井基次郎「闇の絵巻」青空文庫>
  14. ・・・ 二十六日、枝幸丸というに乗りて薄暮岩内港に着きぬ。この港はかつて騎馬にて一遊せし地なれば、我が思う人はありやなしや、我が面を知れる人もあるなれど、海上煙り罩めて浪もおだやかならず、夜の闇きもたよりあしければ、船に留まることとして上陸せ・・・<幸田露伴「突貫紀行」青空文庫>
  15. ・・・みると薄暮の中庭で、女房と店の主人が並んで立って、今しも女房が主人に教えられ、最初の一発を的に向ってぶっ放すところであった。女房の拳銃は火を放った。けれども弾丸は、三歩程前の地面に当り、はじかれて、窓に当った。窓ガラスはがらがらと鳴ってこわ・・・<太宰治「女の決闘」青空文庫>
  16. ・・・ 薄暮、阿佐ヶ谷駅に降りて、その友人と一緒に阿佐ヶ谷の街を歩き、私は、たまらない気持であった。寒山拾得の類の、私の姿が、商店の飾窓の硝子に写る。私の着物は、真赤に見えた。米寿の祝いに赤い胴着を着せられた老翁の姿を思い出した。今の此のむず・・・<太宰治「服装に就いて」青空文庫>
  17. ・・・兵站部の三箇の大釜には火が盛んに燃えて、煙が薄暮の空に濃く靡いていた。一箇の釜は飯が既に炊けたので、炊事軍曹が大きな声を挙げて、部下を叱して、集まる兵士にしきりに飯の分配をやっている。けれどこの三箇の釜はとうていこの多数の兵士に夕飯を分配す・・・<田山花袋「一兵卒」青空文庫>
  18. ・・・すべてが細かい蠢動になってしまうのである。薄暮の縁側の端居に、たまたま眼前を過ぎる一匹の蚊が、大空を快翔する大鵬と誤認されると同様な錯覚がはたらくのである。 いっそうおもしろいのは時間の逆行による世界像の反転である。いわゆるカットバック・・・<寺田寅彦「映画の世界像」青空文庫>
  19. ・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手ではからすうりの花が薄暮の垣根に咲きそろっていつもの蛾の群れはいつものようにせわしく蜜をせせっているのであった。 地震があればこわれ・・・<寺田寅彦「からすうりの花と蛾」青空文庫>
  20. ・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群はいつものように忙わしく蜜をせせっているのであった。 地震があれば壊れるような家を・・・<寺田寅彦「烏瓜の花と蛾」青空文庫>
  21. ・・・もう一つの例は『一代女』の終りに近く、ヒロインの一代の薄暮、多分雨のそぼ降る折柄でもあったろう「おもひ出して観念の窓より覗けば、蓮の葉笠を着たるやうなる子供の面影、腰より下は血に染みて、九十五、六程も立ならび、声のあやぎれもなくおはりよ/\・・・<寺田寅彦「西鶴と科学」青空文庫>
  22. ・・・小説雁の一篇は一大学生が薄暮不忍池に浮んでいる雁に石を投じて之を殺し、夜になるのを待ち池に入って雁を捕えて逃走する事件と、主人公の親友が学業の卒るを待たずして独逸に遊学する談話とを以て局を結んでいる。今日不忍池の周囲は肩摩轂撃の地となったの・・・<永井荷風「上野」青空文庫>
  23. ・・・暗澹たる空は低く垂れ、立木の梢は雲のように霞み渡って居ながら、紛々として降る雪、満々として積る雪に、庭一面は朦朧として薄暮よりも明かった。母と二人、午飯を済まして、一時も過ぎ、少しく待ちあぐんで、心疲れのして来た時、何とも云えぬ悲惨な叫声。・・・<永井荷風「狐」青空文庫>
  24. ・・・孟宗竹の生茂った藪の奥に晩秋の夕陽の烈しくさし込み、小鳥の声の何やら物急しく聞きなされる薄暮の心持は、何に譬えよう。 深夜天井裏を鼠の走り廻るおそろしい物音に驚かされ、立って窓の戸を明けると、外は昼のような月夜で、庭の上には樹の影が濃く・・・<永井荷風「西瓜」青空文庫>
  25. ・・・来路を顧ると、大島町から砂町へつづく工場の建物と、人家の屋根とは、堤防と夕靄とに隠され、唯林立する煙突ばかりが、瓦斯タンクと共に、今しも燦爛として燃え立つ夕陽の空高く、怪異なる暮雲を背景にして、見渡す薄暮の全景に悲壮の気味を帯びさせている。・・・<永井荷風「放水路」青空文庫>
  26. ・・・雲は地上に近く掩いかぶさってあたりが薄暮の如く闇くなった。頬白は塒を求めて慌ててさまよった。冷気を含んだ疾風がごうと蜀黍の葉をゆすって来た。遠く夕立の響が聞えて来た。文造は堪らなくなった。彼は鍬を担いで飛び出した。それと同時に屋根へ打ち込ん・・・<長塚節「太十と其犬」青空文庫>
  27. ・・・彼は一片の麺麭も食わず一滴の水さえ飲まず、未明より薄暮まで働き得る男である。年は二十六歳。それで戦が出来ぬであろうか。それで戦が出来ぬ位なら武士の家に生れて来ぬがよい。ウィリアム自身もそう思っている。ウィリアムは幻影の盾を翳して戦う機会があ・・・<夏目漱石「幻影の盾」青空文庫>
  28. ・・・彼らは銃剣で敵を突き刺し、その辮髪をつかんで樹に巻きつけ、高粱畠の薄暮の空に、捕虜になった支那人の幻想を野曝しにした。殺される支那人たちは、笛のような悲声をあげて、いつも北風の中で泣き叫んでいた。チャンチャン坊主は、無限の哀傷の表象だった。・・・<萩原朔太郎「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」青空文庫>
  29. ・・・氏の描く世界が、従来多くの作家に扱われて来ている種類のインテリゲンツィアでなく、さりとてプロレタリア文学が描こうとする社会層でもなくて、半インテリゲンツィアとでも云われるような半ば明るみに半ば思想の薄暮に生きる人々の群であることも、見落せな・・・<宮本百合子「今日の文学の展望」青空文庫>
  30. ・・・ トラファルガア広場のトーマス・クック本店横から二台の大型遊覧自動車が午後七時の薄暮をついて動き出した。 トーマス・クック会社名前入りの制帽をかぶった肥っちょの案内人が坐席から立ち上って「ここがオックスフォード通。只今通りすぎつ・・・<宮本百合子「ロンドン一九二九年」青空文庫>