・・・すると果して紙切れの上には、妙子が書いたのに違いない、消えそうな鉛筆の跡があります。「遠藤サン。コノ家ノオ婆サンハ、恐シイ魔法使デス。時々真夜中ニ私ノ体ヘ、『アグニ』トイウ印度ノ神ヲ乗リ移ラセマス。私ハソノ神ガ乗リ移ッテイル間中、死・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ その日の中に、果しておなじような事が起ったんです。――それは受取った荷物……荷は籠で、茸です。初茸です。そのために事が起ったんです。 通り雨ですから、すぐに、赫と、まぶしいほどに日が照ります。甘い涙の飴を嘗めた勢で、あれから秋葉ヶ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人となられた。一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを、せめてもの気休めとして、予の一族は永久に父に別れた。 姉も老いた、兄も老いた、予も四十五ではないか。老なる問・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・「それが果して気違いであったなら、随分しッかりした気狂いじゃアないか?」「無論気狂いにも種類があるもんと見にゃならん。――僕はそれから夜通し何も知らなかったんや。再び気が付いて見たら、前夜川から突進した道筋をずッと右に離れたとこに独・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・早速金に換えて懐ろが温まったので、サア繰出せと二人して大豪遊を極めたところが、島田の奴はイツマデもブン流して帰ろうといわんもんだから、とうとう遣い果して復た馬を伴れて戻るというわけサ。その時分の島田はソリャアでれでれして尻が腐ってしまうンだ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・それを傍の人間が救う、その行為が果して愛であるか否かは余程疑問である。苦しんでいる人間をして飽くまで苦しませるという事は、その人間が軈て何物かに突当る事を得せしむるものだ。半途でそれを救うとしたならば、その人間は終に行く所まで行かずして仕舞・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・だから、第一手に端の歩を突くのは、まるで滅茶苦茶で、乱暴といおうか、気が狂ったといおうか、果して相手の木村八段は手抜きをした。坂田は後手だったから、ここで手抜きされると、のっけから二手損になるのだ。攻撃の速度を急ぐ相懸り将棋の理論を一応完成・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・そら吸筒――果して水が有る――而も沢山! 吸筒半分も有ったろうよ。やれ嬉しや、是でまず当分は水に困らぬ――死ぬ迄は困らぬのだ。やれやれ! 兎も角も、お蔭さまで助かりますと、片肘に身を持たせて吸筒の紐を解にかかったが、ふッと中心を失って今・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ ……果して来た! 彼の耳がガアンと鳴った。「オイオイ! ……」 警官は斯う繰返してものの一分もじっと彼の顔を視つめていたが、「……忘れたか! 僕だよ! ……忘れたかね? ウヽ? ……」 警官は斯う云って、初めて相好を崩・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ やめた後の状態は果してわるかった。自分はぼんやりしてしまっていた。その不活溌な状態は平常経験するそれ以上にどこか変なところのある状態だった。花が枯れて水が腐ってしまっている花瓶が不愉快で堪らなくなっていても始末するのが億劫で手の出ない・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
出典:青空文庫