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万延元年(1860)に行われた、江戸幕府による改鋳政策日米和親条約で部分的に自由化された交易により小判金貨)が大量流出したため、従来より金の含有量を落とした小判鋳造したもの。このため、国内は激しいインフレーションに見舞われた。

[補説]江戸末期の金銀の交換比が日本では1:5だったの対し、諸外国は1:15だったため、外国人は銀貨を日本に持ち込んで小判に換え、それを持ち出して売ると3倍の銀を得ることができた。
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