・・・嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが、何時か久米の倨然たる一家の風格を感じたのを見ては、鶏は陸に米を啄み家鴨は水に泥鰌を追うを悟り、寝静まりたる家家の向う「低き・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・老紳士はこの間にポケットから、また例の瀬戸物のパイプを出して、ゆっくり埃及の煙をくゆらせながら、「狄青が五十里を追うて、大理に入った時、敵の屍体を見ると、中に金竜の衣を着ているものがある。衆は皆これを智高だと云ったが、狄青は独り聞かなか・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・彼れはじっとその戯れを見詰めながら、遠い過去の記憶でも追うように今日の出来事を頭の中で思い浮べていた。凡ての事が他人事のように順序よく手に取るように記憶に甦った。しかし自分が放り出される所まで来ると記憶の糸はぷっつり切れてしまった。彼れはそ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・余りの事に、これは親さえ組留められず、あれあれと追う間に、番太郎へ飛込んだ。 市の町々から、やがて、木蓮が散るように、幾人となく女が舞込む。 ――夜、その小屋を見ると、おなじような姿が、白い陽炎のごとく、杢若の鼻を取巻いているのであ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・鰌とりのかんてらが、裏の田圃に毎夜八つ九つ出歩くこの頃、蚕は二眠が起きる、農事は日を追うて忙しくなる。 お千代が心ある計らいによって、おとよは一日つぶさに省作に逢うて、将来の方向につき相談を遂ぐる事になった。それはもちろんお千代の夫も承・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・それでもマダ完結とならないので以下は順次に巻数を追うことにした。もし初めからアレだけ巻数を重ねる予定があったなら、一輯五冊と正確に定めて十輯十一輯と輯の順番を追って行くはずで、九輯の上だの下だの、更に下の上だの下の下だのと小面倒な細工をしな・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・しかるに文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、彼らは土地より取るに急にしてこれに酬ゆるに緩でありましたゆえに、地は時を追うてますます瘠せ衰え、ついに四十年前の憐むべき状態に立ちいたったのであります。しかし人間の強欲をもってするも地は永・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・この冬の海に船を出されるものでなし、後を追うこともできないではないか。」と、あるものは、絶望しながらいいました。 みんなは、うなずきました。「ほんとうにしかたがないことだ。」といいました。しかし、五人のものだけが頭を振りました。・・・ 小川未明 「黒い人と赤いそり」
・・・徴兵官は私の返答をきくとそりゃ惜しいことをしたなと言い、そしてジロリと私の頭髪を見て、この頃そういう髪の型が流行しているらしいが、流行を追うのは知識人らしくないと言った。私はいやこんな頭など少しも流行していませんよ、むしろ流行おくれだと思い・・・ 織田作之助 「髪」
・・・食膳のものへとまりに来るときは追う箸をことさら緩っくり動かさなくてはならない。さもないと箸の先で汚ならしくも潰れてしまわないとも限らないのである。しかしそれでもまだそれに弾ねられて汁のなかへ落ち込んだりするのがいた。 最後に彼らを見るの・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
出典:青空文庫