出典:青空文庫
・・・な、人の好い人間で、捕虜の中にも、あんな柔順なやつは珍らしいくら・・・ 芥川竜之介「首が落ちた話」
・・・から、パルチザンを、捕虜とすることを命じた。それから……。 汚れ・・・ 黒島伝治「パルチザン・ウォルコフ」
・・・、引渡された過激派の捕虜を虐殺して埋没した。森の中にはカルムイコ・・・ 黒島伝治「氷河」
出典:gooニュース
豪州カウラ市長、成蹊高を訪問 捕虜死亡悲劇防ごうと交換留学
太平洋戦争中、捕虜の日本兵がオーストラリアの収容所から集団脱走を図った「カウラ事件」の舞台となった同国東部カウラ市の市長が18日、交換留学事業を行っている成蹊高(東京都武蔵野市)を訪問し、教職員や生徒らと交流した。 事件では1944年8月、捕虜収容所の日本兵約千人が脱走を試み、オーストラリア兵による銃撃や自殺で231人が死亡した。
ドイツ兵捕虜を弔い墓の除幕式と献花「歴史を知ってもらうことが大事」=静岡市
静岡市で亡くなったドイツ兵捕虜を弔い、墓の除幕式と献花が行われました。元ドイツ兵のグスタフ・マタイスさんは、第一次世界大戦の際に捕虜として日本に連行され、1915年、静岡市の収容所で亡くなりました。4月5日、マタイスさんが眠る旧陸軍墓地広場で、墓の案内看板の除幕式が行われました。
静岡県内で死亡したドイツ兵捕虜の墓を110年手入れし続けたことでドイツ大使館が感謝の記念碑を寄贈
第一次世界大戦ではおよそ100人のドイツ兵が、捕虜として静岡市の収容所に送られ、その内グスタフ・マタイス氏が死亡しました。 今回、地元住民がおよそ110年にわたり、マタイス氏の墓を手入れし続けたことに、ドイツ大使館が感謝の意を示したものです。 式ではドイツ大使館のラルフ・ペルジケ空軍大佐から、参加者に日本語で感謝の言葉が贈られました。
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