姓氏の一。
おおやまいくお【大山郁夫】
[1880〜1955]社会運動家。兵庫の生まれ。大正7年(1918)吉野作造らの黎明会 (れいめいかい) に参加。翌年、長谷川如是閑らと「我等」を創刊。無産運動を指導、労働農民党委員長となる。第二次大戦中は米国に亡命、戦後帰国、平和運動に専念。
おおやまいわお【大山巌】
[1842〜1916]元帥・陸軍大将。鹿児島の生まれ。西郷隆盛の従弟。陸相・参謀総長を務め、日露戦争では満州軍総司令官。
おおやまもうで【大山詣で】
大山の阿夫利 (あふり) 神社に、白衣姿で参詣 (さんけい) すること。6月にするものを初山、7月にするものを盆山という。石尊 (せきそん) 詣で。大山参り。《季 夏》
出典:gooニュース
【阪神】大山悠輔 待望の今季1号は森下翔太とのアベック弾「少しはよかったなと思います」
森下翔太外野手(23)&大山悠輔内野手(29)が、〝アベック弾〟を放ち、試合を決定づけた。 まずは2点リードで迎えた3回一死で森下が、中日先発・メヒアのスライダーを捉え、今季4号ソロを放つと、4点リードで迎えた5回一死から、大山が中日2番手・福谷の5球目、150キロ直球をバックスクリーンに叩き込んだ。
中日・福谷浩司、今季初登板で阪神・大山に本塁打浴び2回2安打1失点「次しっかり頑張ります」
先頭の森下を遊ゴロに打ち取ったまではよかったが、大山にバックスクリーン左へのソロ本塁打を浴びた。 2イニング目となった6回は1死を奪った後、木浪に左中間を破る二塁打で1死二塁のピンチを招いたが、前川を一ゴロ、近本は二ゴロに打ち取って切り抜けた。2イニングを2安打1失点だったプロ12年目の右腕は「次しっかり頑張ります」と話した。
阪神・岡田監督 大山の初アーチに「もう出ますよ。いずれ出ますよ。遅かっただけで」雰囲気「ありました、ありました」【一問一答】
きょうはホームランもあり、つなぎもありで、本当良い攻撃だったと思いますね」 -大山に1号。 「いやもう、出ますよ。いずれ出ますよ。それがちょっと遅かっただけで」 -出そうな雰囲気。 「ありました、ありました。フリーバッティング見ててもね」 -3安打で乗って行けそう。
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出典:青空文庫
・・・、甲斐と駿河の境さ、大山荒れがはじまったが、ごんごんごうごう暗や・・・ 伊藤左千夫「河口湖」
・・・を示せば、重厚沈毅な大山将軍ですらが丁髷の鬘に裃を着けて踊り出す・・・ 内田魯庵「四十年前」
・・・第一回の普選に大山さんが立候補した。その時、強力だった農民組合が・・・ 黒島伝治「鍬と鎌の五月」