・・・ 問 ショオペンハウエルは健在なりや? 答 彼は目下心霊的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。しかれどもコレラも黴菌病なりしを知り、すこぶる安堵せるもののごとし。 我ら会員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・「千枝子さんも健在だろうね。」「ああ、この頃はずっと達者のようだ。あいつも東京にいる時分は、随分神経衰弱もひどかったのだが、――あの時分は君も知っているね。」「知っている。が、神経衰弱だったかどうか、――」「知らなかったかね・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・嵯峨の屋は今は六十何歳の老年でマダ健在であるが、あのムッツリした朴々たる君子がテケレッツのパアでステテコ気分を盛んに寄宿舎に溢らしたもんだ。語学校の教授時代、学生を引率して修学旅行をした旅店の或る一夜、監督の各教師が学生に強要されて隠し芸を・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行っ・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・ せき、くさめ、屁 屁の音で隣りの独房にいる同志の健在なことを知る――三・一五の同志の歌で、シャバにいたとき、俺は何かの雑誌でそれを読んだことがあった。此処へ来て初めて分ったのだが、どの監房でも皆がよく屁をしていた。・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・井伏さんの文学が十年一日の如く、その健在を保持して居る秘密の鍵も、その辺にあるらしく思われる。 旅行の上手な人は、生活に於ても絶対に敗れることは無い。謂わば、花札の「降りかた」を知って居るのである。 旅行に於て、旅行下手の人の最も閉・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・お菓子屋をしている老父母は健在である。多くの弟妹があって、数枝はその長女である。小学校を出たきりで、そのうちに十九歳、問屋からしばしばやって来るお菓子職人と遊んで、ふたり一緒に東京へ出て来た。父母も、はんぶんは黙許のかたちであった。お菓子職・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・建碑について尽力した人の重なるものは、その時には既に世を去っていた成島柳北と今日なお健在の富商大倉某らであった事が碑文に言われている。かくの如く堤上の桜花が梅若塚の辺より枕橋に至るまで雲か霞の如く咲きつらなったのは、江戸時代ではなくしてかえ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・まだ健在であった人見絹枝さんが女子選手を引率して行く途中モスクワへよられました。大使館でその歓迎と幸先祝いの晩餐がひらかれ、私も座に連ったのですが、そのとき人見さんは一同を眺めわたしながら高々とした声で「このお嬢さん達をつれて歩くのは容易じ・・・ 宮本百合子 「現実の問題」
・・・十五年の昔、素朴であり、ある意味では観念的であったにしろ、健在であろうとしていた文学の客観的批評の精神を襲撃して、当時の軍人、役人、実業家がよろこんでよむ「大人の小説」、軍協力文学を主唱したのは林房雄であった。こんにち、彼の「大人の文学」の・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
出典:青空文庫