たちばな‐あけみ【橘曙覧】
[1812〜1868]江戸末期の歌人・国学者。越前の人。姓は井手とも。号、志濃夫廼舎(しのぶのや)。田中大秀に国学を学び、「独楽吟(どくらくぎん)」など清新で自由な歌風を生んだ。家集「志濃夫廼舎...
たちばな‐えなお【橘枝直】
⇒加藤枝直(かとうえなお)
たちばな‐しゅうた【橘周太】
[1865〜1904]陸軍軍人。長崎の生まれ。日露戦争中、大隊長として首山堡の争奪戦で戦死。海軍の広瀬武夫中佐と並んで「軍神橘中佐」と称された。
たちばな‐ずいちょう【橘瑞超】
[1890〜1968]探検家。愛知の生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶。大谷光瑞(こうずい)探検隊の第2次・第3次中央アジア探検に参加し、敦煌(とんこう)などの遺跡を発掘。ウイグル文字の解読にも成功し...
たちばな‐そとお【橘外男】
[1894〜1959]小説家。石川の生まれ。中学退学、服役など波瀾万丈(はらんばんじょう)の若年期を経た後に作家となる。エキゾチックな題材を扱った、猟奇的な幻想小説を多く発表。「ナリン殿下への回...
たちばな‐たかし【立花隆】
[1940〜2021]ノンフィクション作家・評論家。長崎の生まれ。本名、橘隆志。「田中角栄研究」で地位を確立。その後も宇宙・医療など、幅広い分野で多くの著作を残した。作「宇宙からの帰還」「脳死」など。
たちばな‐ちかげ【橘千蔭】
⇒加藤千蔭(かとうちかげ)
たちばな‐なんけい【橘南谿】
[1753〜1805]江戸中期の医者・文人。伊勢の人。本名、宮川春暉(みやがわはるき)。字(あざな)は恵風。別号、梅仙。京都で漢方医学を学び、文学にも造詣が深い。全国を遍歴して「西遊記」「東遊記...
たちばな‐の‐かちこ【橘嘉智子】
[786〜850]嵯峨天皇の皇后。仏法への信仰があつく、京都嵯峨に檀林寺を建てたので、世に檀林皇后という。橘氏の私学として学館院を設立。
たちばな‐の‐ならまろ【橘奈良麻呂】
[?〜757]奈良時代の貴族。諸兄(もろえ)の子。父の死後、藤原仲麻呂との対立から騒乱の主謀者として捕らえられ、獄死したとされる。
たちばな‐の‐なりすえ【橘成季】
鎌倉中期の文学者。諸兄(もろえ)の末裔光季の養子といわれる。伊賀守。文学・音楽にすぐれ、建長6年(1254)「古今著聞集」を編集した。生没年未詳。
たちばな‐の‐はやなり【橘逸勢】
[?〜842]平安初期の官人・能書家。奈良麻呂の孫。遣唐留学生として入唐。帰国後、承和の変に連座して捕らえられ、伊豆へ流される途中没した。三筆の一人であるが、真跡と断定できるものは残っていない。
たちばな‐の‐みちよ【橘三千代】
⇒県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)
たちばな‐の‐もろえ【橘諸兄】
[684〜757]奈良前期の官人・歌人。母は県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)。光明皇后の異父兄。初め葛城(かつらぎ)王。のち、臣籍に降り、橘宿禰(すくね)諸兄と改めた。藤原不比...
たちばなひめ【橘媛】
⇒弟橘媛(おとたちばなひめ)
たちばな‐ほくし【立花北枝】
[?〜1718]江戸中期の俳人。蕉門十哲の一人。加賀の人。別号、鳥翠台・寿夭軒。通称、研屋(とぎや)源四郎。「奥の細道」行脚の途次の芭蕉に入門。編著「山中問答」「卯辰(うたつ)集」など。
たちばな‐むねしげ【立花宗茂】
[1569〜1643]安土桃山・江戸初期の武将。筑後柳川城主。豊臣秀吉に仕えて文禄の役・慶長の役に活躍。関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れ、のち、徳川家康に仕えた。大坂夏の陣後、柳川城主に復帰。
たちばな‐もりべ【橘守部】
[1781〜1849]江戸後期の国学者・歌人。伊勢の人。本姓は飯田。号、池庵・椎本(しいがもと)など。江戸で独学して古典・古語に通じ、本居宣長(もとおりのりなが)に対抗して独自の学説を立てた。著...
たちば‐ふかく【立羽不角】
[1662〜1753]江戸中期の俳人。名は定之助。平明な浮世調の作風で、俳諧の大衆化に貢献。著作は「蘆分船」など多数。