モア【Thomas More】
[1478〜1535]英国の政治家・思想家。エラスムスと親交をもち、1516年、理想的国家像を描く「ユートピア」を発表。のち、大法官に任ぜられたが、カトリック教徒の立場からヘンリー8世の離婚に反...
モアッサン【Ferdinand-Frédéric Henri Moissan】
[1852〜1907]フランスの化学者。電気分解により弗素(ふっそ)の単離に成功。また、電気炉を作って高温度を得ることに成功し、高温化学の基礎を築いた。1906年ノーベル化学賞受賞。
もう‐か【孟軻】
⇒孟子(もうし)
もう‐こう【毛亨】
中国、漢代の学者。魯(ろ)の人。毛萇(もうちょう)らとともに「毛詩」とよばれる「詩経」のテキストを伝えた。他のテキストがほろんだため、これが今日の「詩経」となっている。生没年未詳。
もう‐こうぜん【孟浩然】
⇒もうこうねん(孟浩然)
もう‐こうねん【孟浩然】
[689〜740]中国、盛唐の詩人。襄陽(じょうよう)(湖北省)の人。名は浩。浩然は字(あざな)。官には就かなかった。五言詩を多く作り、絵画的な自然描写にすぐれて王維と並び称された。特に「春暁」...
もうし【孟子】
[前372ころ〜前289]中国、戦国時代の思想家。鄒(すう)(山東省)の人。名は軻(か)。字(あざな)は子輿(しよ)。仁義王道による政治を説き、自ら孔子の継承者をもって任じ、性善説・易姓革命説...
もうしょう‐くん【孟嘗君】
[?〜前279]中国、戦国時代の斉の公族。姓は田、名は文。一芸に秀でた客士数千人をかかえたことで知られ、戦国末の四君の一人に数えられた。秦の昭王に暗殺されかけたとき、狗盗と鶏鳴を得意とする食客に...
もう‐そう【孟宗】
中国の二十四孝の一人。三国時代の呉の人で、孝行の徳により寒中に母の求める筍(たけのこ)を得て、供したという。→雪中の筍 「孟宗竹(もうそうちく)」の略。
もう‐たくとう【毛沢東】
[1893〜1976]中国の政治家・思想家。湖南省湘潭(しょうたん)県の人。1921年、中国共産党の創立に参加。農民運動を指導し、朱徳らと工農紅軍を組織、31年江西省瑞金に中華ソビエト共和国臨時...
もう‐てん【蒙恬】
[?〜前210]中国、秦の将軍。前215年、30万の兵を率いてオルドスに匈奴(きょうど)を討ち、万里の長城建築にも協力して北辺防備に尽くしたが、始皇帝没後、李斯・趙高らの謀略にあい、自殺した。
もうり‐たかちか【毛利敬親】
[1819〜1871]江戸末期の長州藩主。村田清風を登用して藩政を改革。尊王攘夷を主張し、蛤御門(はまぐりごもん)の変では敗れて官位を剝奪されたが、のち薩摩と結び、倒幕を実現。
もうり‐てるもと【毛利輝元】
[1553〜1625]安土桃山時代の武将。元就(もとなり)の孫。織田信長に反抗し、豊臣秀吉の攻撃を受けたが、本能寺の変によって和睦。のち、秀吉に仕えて五大老の一人となったが、関ヶ原の戦いで西軍に...
もうり‐もとなり【毛利元就】
[1497〜1571]戦国時代の武将。陶晴賢(すえはるかた)・大内義長・尼子義久らを滅ぼし、山陰・山陽10か国を領有する戦国大名となった。隆元・元春・隆景の三子に与えた一族団結を説く教訓は、三本...
もがみ‐とくない【最上徳内】
[1754〜1836]江戸後期の探検家。出羽の人。名は常矩(つねのり)。本多利明に天文・測量などを学び、天明5年(1785)幕命による蝦夷(えぞ)地調査に随行。のち、択捉(えとろふ)・得撫(ウル...
もがみ‐よしあき【最上義光】
[1546〜1614]戦国末から江戸前期の武将。山形藩主最上家初代。出羽の山形城を拠点に上杉景勝・伊達政宗らと争う。豊臣秀吉に帰順したが、関ヶ原の戦いでは東軍として出羽で景勝の兵と戦い、その功と...
もくあみ【黙阿弥】
⇒河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)
もくあん‐しょうとう【木庵性瑫】
[1611〜1684]中国、明の黄檗(おうばく)宗の僧。泉州の人。師の隠元に続いて明暦元年(1655)来日、宇治の黄檗山万福寺第2世を継いだ。また多くの寺を創建。勅号は慧明国師。
もくあん‐れいえん【黙庵霊淵】
[?〜1345ころ]鎌倉後期から南北朝時代の画僧。本名、是一。嘉暦(1326〜1329)ごろ元に渡り、参禅のかたわら水墨による道釈画を描き、牧谿(もっけい)の再来と称された。中国で客死。その遺作...
もくけんれん【目犍連】
《(梵)Mahāmaudgalyāyanaの音写、「摩訶目犍連」の略》前5世紀ごろのインドの僧。マガダ国のバラモンの出身。釈迦十大弟子の一人となり、神通(じんずう)第一といわれた。餓鬼道に苦しむ...
もくけんれんていしゅ【目犍連帝須】
《パーリ名Moggaliputta Tissaの音写》古代インドの僧。マウリア王朝のアショーカ王の師となり、王子マヒンダを出家させてセイロン伝道の使節とした。
もくじき‐おうご【木食応其/木喰応其】
[1536〜1608]安土桃山時代の真言宗の僧。近江(おうみ)の人。字(あざな)は順良。初め武士であったが、高野山で出家し、木の実を食して肉・野菜・米穀を常用しない木食戒を修行。豊臣秀吉の高野山...
もくじき‐みょうまん【木食明満/木喰明満】
[1718〜1810]江戸後期の僧。甲斐の人。45歳で木食戒を受けて守った。千体仏造像を発願して全国を遊行、素朴で円満な相の木彫仏を多く残す。木食五行。
もくれん【目連】
⇒目犍連(もくけんれん)
モサデク【Muhammad Mosaddeq】
[1880〜1967]イランの政治家。1951年から首相。国内近代化を推進、アングロ‐イラニアン石油会社の国有化を強行した。1953年、国王派軍人のクーデターで失脚。
モジリアニ【Modigliani】
⇒モディリアニ
もちづき‐ぎょくせん【望月玉蟾】
[1693〜1755]江戸中期の画家。京都の人。名は重盛。通称、藤兵衛。望月派の祖。土佐光成・山口雪渓に師事。のち、中国画を範としてすぐれた水墨画・青緑山水画を描いた。
もちづき‐さんえい【望月三英】
[1697〜1769]江戸中期の漢方医。讃岐(さぬき)の人。名は乗。号、鹿門。幕府の奥医師となり、諸医書の説を研究して折衷説を唱えた。著「医官玄稿」「明医小史」など。
もちづき‐しんこう【望月信亨】
[1869〜1948]仏教学者。福井の生まれ。加納法宣につき得度、浄土宗を学んだ。「仏教大辞典」を完成。
もちひと‐おう【以仁王】
[1151〜1180]後白河天皇の第3皇子。治承4年(1180)源頼政と謀り、諸国の源氏に平家追討の令旨を下したが露見。頼政とともに兵を挙げたが戦死。三条宮。高倉宮。
もっけい【牧谿】
中国、宋末から元初の画僧。蜀(しょく)(四川省)の人。法名は法常。牧谿は号。西湖畔六通(りくつう)寺の開山と伝える。山水・道釈・花卉(かき)ほか幅広い題材の水墨画を描いた。中国ではその画法が古法...
モッセ【Albert Mosse】
[1846〜1925]ドイツの法律家。1886年(明治19)来日し、内閣および内務省法律顧問として、地方行政制度の創設や憲法制定について助言した。90年に帰国。
モディアノ【Patrick Modiano】
[1945〜 ]フランスの小説家。1968年「エトワール広場」でデビュー。登場人物がアイデンティティーを求めてさまよう姿を、叙情的な筆致で描き出した作品が多い。1978年ゴンクール賞、2014年...
モディリアニ【Amedeo Modigliani】
[1884〜1920]イタリアの画家。エコール‐ド‐パリの一人。繊細な曲線と精妙な色彩により、長い首の哀調を帯びた裸婦や肖像を描いた。彫刻でも活躍。モジリアニ。
もとおり‐うちとお【本居内遠】
[1792〜1855]江戸後期の国学者。名古屋の人。号、榛園(はりぞの)。豊穎(とよかい)の父。本居大平の養子となり、紀州侯に仕えた。著「落葉の錦」など。
もとおり‐おおひら【本居大平】
[1756〜1833]江戸後期の国学者。伊勢の人。号、藤垣内(ふじのかきつ)。宣長に入門し、のち、その養子となる。紀州侯に仕え、宣長の学問を継承し、普及に努めた。著「古学要」「神楽歌新釈」「玉鉾...
もとおり‐とよかい【本居豊穎】
[1834〜1913]国学者・歌人。内遠の長男で、宣長の曽孫にあたる。紀州侯に仕え、明治維新後は神道界で活動。著「古今集講義」など。
もとおり‐ながよ【本居長世】
[1885〜1945]作曲家。東京の生まれ。宣長(のりなが)の子孫。大正から昭和初期の童謡作曲家として活躍した。代表作「赤い靴」「七つの子」「十五夜お月さん」など。
もとおり‐のりなが【本居宣長】
[1730〜1801]江戸中期の国学者。国学の四大人の一人。伊勢の人。号、舜庵(春庵)・鈴屋(すずのや)。京都に出て医学を修める一方、源氏物語などを研究。のち賀茂真淵に入門、古道研究を志し、「...
もとおり‐はるにわ【本居春庭】
[1763〜1828]江戸後期の国学者。伊勢の人。号、後鈴屋(のちのすずのや)。宣長の長男。眼病を患って失明したため、父の養子大平に家督を譲り、自らは鍼医(はりい)を業としながら歌道・国学を教授...
もとき‐しょうざえもん【本木庄左衛門】
[1767〜1822]江戸後期のオランダ通詞。長崎の人。良永の長子。名は正栄。号は蘭汀。フランス語・英語も修得し、日本で最初の英和辞書「諳厄利亜(アンゲリア)語林大成」、最初のフランス語学書「払...
もとき‐よしなが【本木良永】
[1735〜1794]江戸中期の蘭学者。名は「りょうえい」とも。通称、栄之進。のち、仁太夫。長崎オランダ通詞として、訳書「天地二球用法」により、日本にコペルニクスの地動説を紹介。著「阿蘭陀海鏡書...
もとだ‐ながざね【元田永孚】
[1818〜1891]漢学者。肥後の人。号、東野。明治維新後、宮内省に出仕して明治天皇の侍講を務め、枢密顧問官となり、教育勅語の草案作成に尽力した。著「幼学綱要」など。
もとやま‐ひこいち【本山彦一】
[1853〜1932]新聞経営者。熊本の生まれ。明治36年(1903)大阪毎日新聞社長に就任。明治44年(1911)東京日日新聞を買収・統合し、朝日新聞と並ぶ全国紙へ発展させた。
もとや‐ゆきこ【本谷有希子】
[1979〜 ]劇作家・小説家。石川の生まれ。「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を当時の最年少記録で受賞。「幸せ最高ありがとうマジで!」で岸田国士戯曲賞受賞。小説「異類婚姻譚」で芥川賞受賞。他に「ぬるい...
モネ【Claude Monet】
[1840〜1926]フランスの画家。印象派の代表画家。同派の呼称は、その作品「印象‐日の出」に由来する。ほかに「睡蓮(すいれん)」など。
モネ【Jean Monnet】
[1888〜1979]フランスの実業家・政治家。第一次大戦後、国際連盟事務局次長を務めるなど、国際的に活躍。第二次大戦後には、フランスの復興と経済近代化に貢献した。また、欧州石炭鉄鋼共同体(EC...
もののべ‐の‐おこし【物部尾輿】
欽明朝の大連(おおむらじ)。朝鮮政策の失敗を攻撃して大連大伴金村を引退させた。また、仏教の受容に当たり、中臣鎌子(藤原鎌足)とともに排仏を主張して蘇我稲目と対立した。生没年未詳。
もののべ‐の‐もりや【物部守屋】
[?〜587]敏達・用明朝の大連(おおむらじ)。尾輿の子。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子(あなほべのみこ)を推したが、馬子らに攻められて敗死。
モノー【Jacques Lucien Monod】
[1910〜1976]フランスの分子生物学者。細菌の適応酵素を研究。たんぱく質生成の遺伝的制御を解析し、フランソワ=ジャコブとともにオペロン説を提唱。1965年、ノーベル生理学医学賞を受賞。著「...