師などから
無形の
感化や
徳化を受けるたとえ。行くときは何も分からずに空っぽの心で行って、帰るときには
充実して、
十分に
満足している意から。▽
出典では、王駘
おうたいという
人物が教え諭すわけでも
道理を論ずるわけでもないのに、教えを請う者は空っぽの心でそこに行き、帰りには得るところがあって十分満足しているといい、王駘は言葉には出さないが、自然に
相手を
感化する教えを心得た
人物として描かれている。「虚往」は空っぽの頭で行くこと。「実帰」は
充実して帰る、また、
十分に
満足して帰る意。「虚
きょにして往
ゆき実
じつにして(実
みちて)帰
かえる」と
訓読する。