たか‐は【鷹派】
相手と妥協せず、自分の主張を貫くために、強硬に事を運ぼうとする立場に立つ人。また、武力解決をしようとする強硬派。⇔鳩派(はとは)。
鷹(たか)は餓(う)えても穂(ほ)を摘(つ)まず
鷹はどんなに飢えても穀物は食べない。高潔な人は、どんなに困っても、道理に合わない金品は受けないことのたとえ。
たかはぎ【高萩】
茨城県北東部の市。明治以後、常磐炭田の炭鉱町として発展。製材・製紙や肉牛飼育が盛ん。人口3.1万(2010)。
たかはぎ‐し【高萩市】
⇒高萩
たかはし【高梁】
岡山県西部、高梁川中流域にある市。もと板倉氏の城下町。臥牛(がぎゅう)山にある松山城は現存唯一の山城。旧称松山を明治2年(1869)に改称。人口3.5万(2010)。
たか‐はし【高橋】
高くかけ渡した橋。「石上(いそのかみ)布留(ふる)の—高々に妹が待つらむ夜ぞふけにける」〈万・二九九七〉
たかはし【高橋】
姓氏の一。 [補説]「高橋」姓の人物高橋治(たかはしおさむ)高橋(たかはし)お伝(でん)高橋景保(たかはしかげやす)高橋和巳(たかはしかずみ)高橋克彦(たかはしかつひこ)高橋克巳(たかはしかつみ...
たかはしうじぶみ【高橋氏文】
奈良時代の古記録。朝廷の内膳司に仕えた高橋氏が、安曇(あずみ)氏との勢力争いをめぐり、自家の優位を示すために延暦8年(789)朝廷に提出した家記とこれを裁定した同12年の太政官符。逸文として伝わる。
たかはし‐がわ【高梁川】
岡山県西部の川。鳥取との県境に源を発し、南流して倉敷市で瀬戸内海に注ぐ。長さ111キロ。
たかはし‐し【高梁市】
⇒高梁