姓氏の一。
なかにしごどう【中西悟堂】
[1895〜1984]野鳥研究家・天台宗の僧。石川の生まれ。本名、富嗣 (とみつぐ) 。昭和9年(1934)日本野鳥の会を結成。探鳥会を行い、自然保護運動に尽力した。著「定本野鳥記」など。
なかにしばいか【中西梅花】
[1866〜1898]詩人・小説家。江戸の生まれ。本名、幹男。読売新聞に入社して小説を発表。のち、詩に専念。著「新体梅花詩集」など。
なかにしふとし【中西太】
[1933〜2023]プロ野球選手・監督。香川の生まれ。高松一高時代から豪快な打撃で「怪童」とよばれる。昭和27年(1952)西鉄(西武の前身)に入団し新人王を獲得。翌年には史上3人目の3割30本塁打30盗塁以上を達成。同37年からは選手兼任監督となる。同44年に引退するまで本塁打王を5回、打点王を3回獲得。引退後は日本ハム・阪神・ヤクルト・ロッテの監督を務めた。
出典:青空文庫
・・・車の線路一つへだてた中西屋の前の停留場へ落しました。すると、その・・・ 芥川竜之介「二つの手紙」
・・・襟に防ぎながら、ふと中西屋の前を通りかかると、なぜか賑な人声と、・・・ 芥川竜之介「毛利先生」
・・・で聞かず、「オイ君、中西が来た!」「そしてどうした?」「いま君が・・・ 国木田独歩「疲労」
出典:gooニュース
『中西太、優しき怪童 西鉄ライオンズ最強打者の真実』/13中西が兼任監督就任。「私に監督をやれる力があるとか、やれると思って受けたわけじゃない。球団経営をする面でいろいろある。僕らの頭じゃ考えつかんことがね」
三原監督は大反対だった『中西太、優しき怪童』表紙 昨年2023年に亡くなられた元西鉄ライオンズの中西太さん。このたび怪童と呼ばれた中西さんの伝説、そして知られざる素顔を綴る一冊が発売されました。
芸能記者・中西正男氏に語った松本人志の本音 裁判、収入、ファンへの気持ち…でも何より強い相方への思い
イメージしている松本人志さんでした」と中西氏。まずは活動休止後初めて会ったその外見について、普段通りの“まっちゃん”だったと話した。 松本はなぜ会見ではなく、中西氏のインタビューを選んだのか。それについて、もちろん中西氏への信頼もあるが、何より会見という形では、松本側もメディア側もフラストレーションがたまるのではないかという懸案が松本側にあったという。
なすなか中西 番組スタッフの指示でボケ披露も…悪意ある編集に激怒「めちゃくちゃ腹立って。何やこれ!」
編集で“スベり続ける”って」と、中西の思いに同情していた。
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