出典:gooニュース
源頼朝の挙兵が成功した納得の理由、密事を一人だけに話したことでわかる性格
敵にスパイを送り込む 治承4年(1180)8月17日、源頼朝は、流罪となっていた伊豆国で平家方に対して挙兵します。最初の攻撃目標は、伊豆国の目代(受領の代官)・平(山木)兼隆。兼隆を攻めることは、当然、前々から決まっていたわけですが、彼の居所は「要害の地」であるということで、頼朝方では対策が講じられていました。
源頼朝が巻狩の際に馬からおりた場所と伝わる樹齢800年以上の「狩宿の下馬桜」を楽しむ狩宿さくらまつり
静岡県富士宮市では源頼朝ゆかりの「富士の巻狩 狩宿さくらまつり」が行われています。 樹齢800年以上といわれる「狩宿の下馬桜」は源頼朝が富士山の麓で巻狩を繰り広げた際、馬を下りた場所と伝わっていて、毎年桜が見頃のこの時期にさくらまつりが開かれます。 散り始めの「狩宿の下馬桜」ですが、来場者は富士山と桜や黄色の菜の花を写真におさめていました。
現代でも使える、源頼朝が挙兵を成功に導くためにやった、魅力的な秘策とは?
流罪地でも敵だらけでなかった幸運 永暦元年(1160)3月、13歳の源頼朝は、死刑を免れて、流刑地・伊豆国に配流となります。伊豆に流された頼朝は、当初は同国の豪族・工藤氏、続けて伊東氏(祐親)の監視を受けたと考えられています。私は、頼朝は幸運に恵まれた人物だったと前稿で述べましたが、それは流罪地においても変わりませんでした。
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