出典:gooニュース
【戦後80年 語り継ぐ】シベリアに抑留された99歳 8月18日ごろまで終戦を知らず
約3年にわたり、ソ連のシベリアで抑留生活を強いられた西倉勝さん(99)=相模原市南区=の耳底には、80年前に貨車の中で響いた悲鳴が、絶望が、諦めがこびりついている。 ■全ては「お国のため、天皇陛下のため」 西倉さんは新潟県二田村(現柏崎市)の農家に、3人きょうだいの長男として生まれた。
ソ連と対決した博多出身の抑留者を紹介、福岡市で西日本政経懇話会例会
自国領に連行した日本人抑留者を“人質”に交渉する当時のソ連に対し、収容所から「自分たちのために祖国が不利になるのなら切腹自決する覚悟がある」との抗議文書を送った抑留者がいた。 旧制福岡高校、九州帝国大学出身で満州国政府の官僚だった瀬崎清さんだ。11年に及ぶ抑留生活で、他にも2通の文書を出し、兵卒扱いだった自らの処遇改善をソ連に認めさせた。
「ようやく帰ってきた」旧ソ連抑留中に死亡した元兵士の遺骨が家族のもとに
終戦後の1946年に旧ソ連に抑留されて現地で亡くなった元兵士の遺骨が見つかり、茨城県に住む子どもらのもとに返還されました。 1944年に旧陸軍に召集された茨城県の林静さんは、1946年に抑留されていた旧ソ連のカザフスタンで過労により入院し、その年に36歳で亡くなりました。
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