出典:gooニュース
戦時下の新聞記者だった祖父は沖縄戦をどう伝えた 戦意高揚煽った報道の罪 最後の署名記事が伝えたのは
その足跡をたどるために、今回ここに来させていただきました静岡県から沖縄を訪れた渡辺礼子さんの祖父・・宗貞利登(むねさだ としと)さんは80年前の沖縄戦を取材した朝日新聞の記者で44歳で殉職した。当時、那覇支局長を務めていた。那覇市にある朝日新聞那覇総局には、宗貞さんの遺品が保管されている。
[社説][沖縄戦80年]根こそぎ動員 女性も子どもも前線に
戦争が始まると、兵士が戦場に動員される。戦闘が長期化し激しくなればなるほど犠牲者は増える。戦場は詰まるところ、あらゆる兵器を使い、人と人が殺し合う場だ。 太平洋戦争末期の1945年6月23日、日本は本土決戦に備え、義勇兵役法を公布した。 米軍の本土上陸を見越し、女子や少年にも兵役を課し、国民を根こそぎ動員するための法整備だった。 敗戦のため「一億総特攻
沖縄戦慰霊碑の“南北之塔”建立に携わった元アイヌ兵 亀裂から友好へ…距離と世代を超えてつなぐ人たち
日米合わせて20万人の死者を出した沖縄戦。国内最大の地上戦が繰り広げられたその地に、アイヌの言葉が刻まれた慰霊碑がたっています。ともに沖縄戦を戦った、アイヌと地元住民の絆に迫ります。沖縄戦の激戦地となった糸満市真栄平(いとまんし・まえひら)。
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