出典:gooニュース
鬼門を護っていたお稲荷様が焼失【駅ぶら】06京王電鉄478 井の頭線109
wp-content/uploads/2024/05/is11210-760x428.jpg 760w, https://tetsudo-ch.com/wp-content/uploads/2024/05/is11210-320x180.jpg 320w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" />※2024年4月撮影 2013年(平成25年)不審火で焼失
西南戦争直後の絵図に焼失時期の定説覆す書き込み 史料から迫る歴史の実像「没後100年 松方正義」特別展 あす4日まで黎明館
江戸時代、御楼門とともに鹿児島城の象徴だった御角櫓(おすみやぐら)の焼失原因が、定説だった1873(明治6)年の火災ではなく、77年の西南戦争だった可能性が指摘されている。戦災状況を知らせる絵図で焼失箇所と示されているのが理由の一つ。絵図は4日まで開催中の黎明館企画特別展「没後100年 松方正義」で展示されている。
首里城焼失から5年 復元工事進む正殿によみがえる赤瓦
琉球王国(1429~1879年)の王宮として、政治、外交、文化の中心となった首里城は、何度も焼失と再建を繰り返してきた。18世紀に再建された首里城は、1945年の沖縄戦で破壊されたが、92年、国営公園として正殿などを復元(平成の復元)。2000年には沖縄県内のほかの城(グスク)跡とともにユネスコの世界文化遺産に登録された。
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