さくげん‐しゅうりょう【策彦周良】
[1501〜1579]室町末期の臨済宗の僧。丹波の人。号、謙斎。明(みん)に2回渡り、日記「初渡集」「再渡集」がある。織田信長・武田信玄に信任され、甲斐恵林寺、京都天竜寺に住した。著「南游集」など。
さくま‐げんば【佐久間玄蕃】
佐久間盛政(さくまもりまさ)の通称。
さくま‐しょうざん【佐久間象山】
[1811〜1864]江戸末期の学者。信濃松代藩士。名は啓(ひらき)。初め朱子学を、のちに蘭学を修め、西欧の科学技術の摂取による国力の充実を主張したが、京都で攘夷派に暗殺された。門下に勝海舟・吉...
さくま‐つとむ【佐久間勉】
[1879〜1910]軍人。海軍大尉。福井の生まれ。第六潜水艇長として潜航訓練中、遭難。死ぬまで報告を書き続けた。
さくま‐もりまさ【佐久間盛政】
[1554〜1583]安土桃山時代の武将。尾張の人。玄蕃允(げんばのじょう)、また鬼玄蕃と称した。織田信長・柴田勝家に仕えた。賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで敗れ、京都で刑死。
さくら‐あずまお【佐久良東雄】
[1811〜1860]幕末の志士・歌人。常陸(ひたち)の人。号、薑園(きょうえん)。平田篤胤(ひらたあつたね)の門下。桜田門外の変に連座、獄中で絶食死した。歌集「薑園集」。
さくらい‐じょうじ【桜井錠二】
[1858〜1939]化学者。石川の生まれ。英国に留学。ベックマンの沸点上昇測定装置を改良。東大教授。帝国学士院院長。
さくらい‐ただよし【桜井忠温】
[1879〜1965]陸軍軍人・作家。愛媛の生まれ。日露戦争の旅順攻囲戦で重傷を負い内地送還。その体験を描いた「肉弾」「銃後」は広く読まれた。
さくらい‐たんばのしょうじょう【桜井丹波少掾】
古浄瑠璃の太夫。前名、和泉太夫。薩摩浄雲の門下。剛勇な金平節(きんぴらぶし)を創始し、17世紀中ごろ、江戸で人気を博した。生没年未詳。→金平浄瑠璃
さくらい‐ばいしつ【桜井梅室】
[1769〜1852]江戸後期の俳人。加賀の人。名は能充。高桑闌更(たかくわらんこう)の門下。著「梅室附合集」「梅林茶談」など。