せき‐かく【石恪】
中国五代、後蜀(ごしょく)の画家。成都(四川省)の人。字(あざな)は子専。水墨による道釈画・人物画に長じ、奔放な筆致を特色とする。模本とされる「二祖調心図」が伝存。せっかく。生没年未詳。
せき‐かんさい【関寛斎】
[1830〜1913]幕末・明治期の蘭方医。上総(かずさ)の人。佐倉順天堂の蘭方医佐藤泰然に入門、長崎でポンペに学ぶ。のち、徳島藩医となり、戊辰戦争では官軍の奥羽出張病院頭取を勤め、晩年は北海道...
せきぐち‐たかよし【関口隆吉】
[1836〜1889]政治家。江戸の人。字(あざな)は良輔。通称、権助。号、黙斎。関口鯉吉・新村出の父。旧幕臣で、元老院議官・静岡県知事などを歴任した。
せきぐち‐りきち【関口鯉吉】
[1886〜1951]天文・気象学者。東京の生まれ。気象学に天文学的測定法を導入、富士山頂の気象観測を開始した。東大教授・中央気象台長・東京天文台長を歴任。著「太陽」「天体物理学」など。
せき‐けいとう【石敬瑭】
[892〜942]中国、五代の後晋の建国者。廟号は高祖。在位936〜942。沙陀突厥(さだとっけつ)の出身。後唐の明宗に仕えたが、その没後、契丹(きったん)の援助を得て後唐を滅ぼして帝位についた。
せきしつ‐ぜんきゅう【石室善玖】
[1294〜1389]室町初期の臨済宗の僧。筑前の人。元に渡って古林清茂(くりんせいむ)に学び、帰朝後、天竜寺・円覚寺・建長寺などを歴住。五山文学興隆の基礎を築いた。
せき‐たかかず【関孝和】
[1640ころ〜1708]江戸前期の数学者。上野(こうずけ)の人。関流和算の祖。中国の天元術を改良して新しい算法を創造、帰源整法と命名。著「発微算法」。
せきとう【石濤】
[1642〜1707]中国、清初の画家。姓は朱、名は若極。法名、道済または原済。字(あざな)は石濤。号、苦瓜(くか)和尚・大滌子(だいてきし)など。明の宗室の出身。山水画に意想豊かな独創性を示した。
せきとう‐きせん【石頭希遷】
[700〜790]中国、唐代の禅僧。六祖慧能(えのう)・青原行思(せいげんぎょうし)に師事。衡山の南寺の石上に庵を結んで座禅をしたところから、石頭和尚とよばれた。馬祖道一とともに禅宗の振興に尽力...
せきね‐しょうじ【関根正二】
[1899〜1919]洋画家。福島の生まれ。幻想に満ちた表現主義的な画風で注目されたが、結核で夭折(ようせつ)。