ふじわら‐ともみ【藤原智美】
[1955〜 ]小説家・随筆家。福岡の生まれ。雑誌記者・コピーライターを経て、文筆の道に入る。「運転士」で芥川賞受賞。他に小説「王を撃て」、エッセー「ぼくが眠って考えたこと」など。
ふじわら‐の‐あきすけ【藤原顕輔】
[1090〜1155]平安後期の歌人。六条家の祖といわれる顕季(あきすえ)の子で、清輔の父。六条家を継ぎ、崇徳院の院宣により「詞花集」を撰進。家集に「左京大夫顕輔卿集」がある。
ふじわら‐の‐あきひら【藤原明衡】
[989〜1066]平安中期の学者。文章博士(もんじょうはかせ)・大学頭(だいがくのかみ)を歴任。詩文に秀で、「本朝文粋」を編集。著「明衡往来(めいごうおうらい)」「新猿楽記」など。
ふじわら‐の‐あきらけいこ【藤原明子】
[829〜900]文徳天皇の女御。良房の娘。清和天皇を生み、藤原氏の外戚としての地位を確立させた。染殿の后。名は「めいし」とも。
ふじわら‐の‐いえたか【藤原家隆】
[1158〜1237]平安末期・鎌倉前期の歌人。名は「かりゅう」とも。寂蓮の養子。藤原俊成に学び、「新古今和歌集」撰者の一人となり、藤原定家と並び称された。家集に「壬二(みに)集」がある。
ふじわら‐の‐うまかい【藤原宇合】
[694〜737]奈良前期の公卿。式家の祖。不比等(ふひと)の三男。名は馬養(うまかい)とも書く。遣唐副使として渡唐。帰国後、蝦夷(えぞ)の反乱を平定。
ふじわら‐の‐おつぐ【藤原緒嗣】
[773〜843]平安初期の公卿。百川(ももかわ)の長男。桓武天皇の寵を受け、参議・左大臣などを歴任。「新撰姓氏録」「日本後紀」の編者の一人。
ふじわら‐の‐おとむろ【藤原乙牟漏】
[760〜790]桓武天皇の皇后。平城天皇・嵯峨天皇の母。
ふじわら‐の‐かねいえ【藤原兼家】
[929〜990]平安中期の公卿。師輔(もろすけ)の三男。兄の兼通(かねみち)と関白職を争い、一条天皇の外祖父として摂政、次いで関白となった。法興院。東三条殿。
ふじわら‐の‐かねざね【藤原兼実】
⇒九条兼実(くじょうかねざね)