ふじわら‐ぎんじろう【藤原銀次郎】
[1869〜1960]実業家・政治家。長野の生まれ。王子製紙を再建。藤原工業大学(現在の慶応大学理工学部)を私費で創設。第二次大戦中、商工・軍需相などを歴任。
ふじわら‐さくへい【藤原咲平】
[1884〜1950]気象学者。長野の生まれ。中央気象台長。気象学の普及に貢献したほか、渦の研究で知られる。著「雲」「群渦」「日本気象学史」など。
ふじわら‐の‐きよひら【藤原清衡】
[1056〜1128]平安後期の陸奥(むつ)の豪族。後三年の役に源義家と結んで清原氏を滅ぼし、陸奥六郡を領有。平泉に奥州藤原氏の基礎を築き、中尊寺を建立。清原清衡。
ふじわら‐の‐きんとう【藤原公任】
[966〜1041]平安中期の歌人・歌学者。通称、四条大納言。故実に詳しく、また、漢詩・和歌・音楽にすぐれた。「和漢朗詠集」「拾遺抄」「三十六人撰」などを撰。歌論書「新撰髄脳」「和歌九品」、家集...
ふじわら‐の‐くすこ【藤原薬子】
[?〜810]平安初期の女官。種継の娘。娘が平城天皇の妃だったことから天皇の寵愛を受けたが、天皇譲位後、兄仲成らと嵯峨天皇を廃して平城上皇の復位を企て、失敗して自殺。→薬子の変
ふじわら‐の‐こうぜい【藤原行成】
⇒ふじわらのゆきなり
ふじわら‐の‐これただ【藤原伊尹】
[924〜972]平安中期の公卿・歌人。名は「これまさ」とも。師輔(もろすけ)の長男。「後撰和歌集」撰者の一人。和歌所別当となり、参議・右大臣を歴任。のち摂政となり、一条摂政と称された。諡号(し...
ふじわら‐の‐これちか【藤原伊周】
[974〜1010]平安中期の公卿。道隆の二男。父の死後、叔父の道兼・道長と権勢を争い、従者が花山法皇に矢を射かけたことなどにより大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷。のち許されて帰京し、大臣に...
ふじわら‐の‐これふさ【藤原伊房】
[1030〜1096]平安中期の公卿・書家。行成の孫。世尊寺流書道に巧みで、「北山抄」「十五番歌合」などの筆者といわれる。
ふじわら‐の‐これまさ【藤原伊尹】
⇒ふじわらのこれただ