みずのお‐の‐みかど【水尾帝】
清和天皇の異称。
みずの‐じゅうろうざえもん【水野十郎左衛門】
[?〜1664]江戸初期の旗本。名は成之。3千石の家督を継いだが、旗本奴の頭目として無頼の生活を送り、町奴の幡随院長兵衛を殺害。のち、行状粗暴のかどで切腹させられた。
みずの‐ただくに【水野忠邦】
[1794〜1851]江戸後期の大名。唐津藩主から浜松藩主へ転封。大坂城代・京都所司代などを経て老中となる。将軍徳川家慶に信任され、天保の改革を断行したが、反対者が多くて失脚。
みずの‐ひろのり【水野広徳】
[1875〜1945]海軍軍人・軍事評論家。愛媛の生まれ。日露戦争の日本海海戦を描いた戦記「此一戦」で知られる。のちに人道的反戦思想に転じ、退役後は軍縮運動に尽力した。
みずの‐りはち【水野利八】
[1884〜1970]実業家。岐阜の生まれ。スポーツ用品の水野兄弟商会(現ミズノ)を創業。実業団野球大会、関西学生連合野球大会などを中心に各地でスポーツ大会を実施。スポーツ用品の改良・普及に尽力した。
みずの‐れんたろう【水野錬太郎】
[1868〜1949]官僚・政治家。秋田の生まれ。内務省を退官後、貴族院議員・内相・文相を歴任。