たいら‐の‐これもち【平維茂】
平安中期の武将。叔父貞盛の養子となったが最年少で、順位が15番目にあたり、世に余五とよばれた。山城の鬼女退治など武勇伝説がある。余五将軍。生没年未詳。
たいら‐の‐これもり【平維盛】
[1158〜1184ころ]平安末期の武将。重盛の長子。源頼朝と富士川に対陣中、水鳥の羽音に驚いて敗走。のち、源義仲追討に進撃したが、砺波山(となみやま)で大敗。その後滝口入道のもとで出家し、那智...
たいら‐の‐さだもり【平貞盛】
平安中期の武将。国香の子。父の死後、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と力を合わせて、父を殺した平将門(たいらのまさかど)を下総(しもうさ)の猿島(さしま)に討った。のち、鎮守府将軍。生没年未詳。
たいら‐の‐しげこ【平滋子】
建春門院(けんしゅんもんいん)の実名。
たいら‐の‐しげひら【平重衡】
[1157〜1185]平安末期の武将。清盛の子。源頼政を宇治川で破り、東大寺・興福寺を焼いた。のち、一ノ谷の戦いで敗れ、捕らえられて鎌倉へ送られたが、南都僧徒の要求により木津川で斬られた。
たいら‐の‐しげもり【平重盛】
[1138〜1179]平安末期の武将。清盛の長子。保元・平治の乱の功により左近衛大将・内大臣。清盛による後白河法皇幽閉を諫止(かんし)。病のため退官、父に先だって病死。謹直、武勇にすぐれた人物と...
たいら‐の‐たかもち【平高望】
桓武平氏の祖。桓武天皇の皇子葛原(かつらばら)親王の孫。寛平元年(889)平朝臣(たいらのあそん)の姓を受け、上総介(かずさのすけ)となり、現地に土着して関東に勢力を築いた。高望王。生没年未詳。
たいら‐の‐ただつね【平忠常】
[967〜1031]平安中期の武将。高望(たかもち)の曽孫。法名、常安。上総介(かずさのすけ)・武蔵押領使(むさしおうりょうし)を歴任。長元元年(1028)内乱を起こしたが、源頼信の討伐に降伏し...
たいら‐の‐ただのり【平忠度】
[1144〜1184]平安末期の武将・歌人。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守(さつまのかみ)。藤原俊成に師事して和歌をよくし、平氏西走の途中、京都に引き返して師に詠草1巻を託した話は有名。一ノ谷の戦い...
たいら‐の‐ただまさ【平忠正】
[?〜1156]平安後期の武将。正盛の子。清盛の叔父。保元の乱で崇徳上皇方について敗れ、子らとともに処刑された。