やすい‐そっけん【安井息軒】
[1799〜1876]江戸末期の儒学者。日向(ひゅうが)の人。名は衡。字(あざな)は仲平。飫肥(おび)藩校の助教、のち、昌平坂学問所教授。考証にすぐれたが、海防・軍備などの政策も論じた。著「左伝...
やすつぐ【康継】
[?〜1621]桃山末期・江戸初期の刀工。近江の人。のち越前に移住。通称、下坂(しもさか)市之丞。徳川家康より「康」の字の使用と葵(あおい)紋を銘に入れることを許され、徳川家の御用鍛冶を務めた。...
やすつな【安綱】
平安中期、伯耆(ほうき)の刀工。本名、横瀬三郎太夫。伯州物の祖といわれ、作品に名物「童子切」がある。生没年未詳。
やつはし‐けんぎょう【八橋検校】
[1614〜1685]江戸前期の箏曲(そうきょく)演奏家・作曲家。磐城(いわき)(一説に豊前小倉)の人という。三味線・胡弓(こきゅう)の名手で、筑紫流箏曲を学び、八橋流を創始。今日の箏曲(俗箏)...
やながわ‐けんぎょう【柳川検校】
[?〜1680]江戸前期の地歌の演奏家・作曲家。柳川流の創始者。大坂の人。地歌三味線の名手として京都で活躍。三味線組歌の破手(はで)組を作曲したといわれる。
やながわ‐せいがん【梁川星巌】
[1789〜1858]江戸後期の漢詩人。美濃の人。名は孟緯。字(あざな)は公図。江戸で古賀精里・山本北山に学び、神田に玉池(ぎょくち)吟社を開いた。のち京都に住み、勤王の志士と交わって国事に奔走...
やなぎさわ‐きえん【柳沢淇園】
[1704〜1758]江戸中期の文人・画家。字(あざな)は公美(こうび)。柳里恭(りゅうりきょう)ともよばれる。大和郡山藩の重臣。儒仏・医学・書画など16芸に通じたといわれる。特に絵画は精緻(せ...
やなぎさわ‐よしやす【柳沢吉保】
[1659〜1714]江戸中期の大名。徳川綱吉の側用人となり、やがて老中格から大老格となって甲府15万石を領した。文治政策を推進したが、綱吉の失政の責任を一身に負わされ、綱吉死後は隠棲。
やなだ‐ぜいがん【梁田蛻巌】
[1672〜1757]江戸中期の儒学者。江戸の人。名は邦美(くによし)。字(あざな)は景鸞(けいらん)。山崎闇斎に師事、朱子学を学び、また、仏教・神道・漢詩文にも通じていた。著「蛻巌集」など。
やまうち‐とよしげ【山内豊信】
[1827〜1872]江戸末期の土佐藩主。号、容堂。支藩から出て本藩を継ぎ、吉田東洋を登用して藩政改革を行った。一橋慶喜(徳川慶喜)の将軍擁立に尽力し、公武合体運動・大政奉還に活躍。