そうあみ【相阿弥】
[?〜1525]室町後期の画家。真相とも称した。号、松雪斎・鑑岳。能阿弥の孫、芸阿弥の子で、同じく足利義政の同朋衆となり、「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」の大成に尽力。諸芸に秀でた...
ちかまつ‐とくぞう【近松徳三】
[1751〜1810]江戸後期の歌舞伎作者。大坂の人。初名、徳蔵、次に徳叟(とくそう)。近松半二に入門。上方の劇壇で活躍。代表作「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」。
ちかまつ‐はんじ【近松半二】
[1725〜1783]江戸中期の浄瑠璃作者。大坂の人。儒学者穂積以貫(ほづみこれつら)の子。2世竹田出雲の門人。その作の多くは合作であったが、舞台技巧にすぐれていた。代表作「奥州安達原」「本朝廿...
ちかまつ‐もんざえもん【近松門左衛門】
[1653〜1725]江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者。越前の人。本名、杉森信盛。別号、巣林子(そうりんし)。坂田藤十郎のために脚本を書き、その名演技と相まって上方歌舞伎の全盛を招いた。また、竹本義...
ちくさ‐ありこと【千種有功】
[1797〜1854]江戸後期の歌人。京都の人。号は千千廼舎(ちぢのや)。左近衛権中将に至り、堂上派に属したが、香川景樹らと交わって、新風の和歌を志した。歌集「千千廼舎集」など。
ちくさ‐ただあき【千種忠顕】
[?〜1336]鎌倉末期の廷臣。元弘の変で捕らえられ、後醍醐天皇とともに隠岐(おき)に配流。のち、隠岐を脱出して、足利尊氏(あしかがたかうじ)らと六波羅攻めに参加。尊氏の離反後、足利直義と戦って敗死。
ふじわら‐の‐くすこ【藤原薬子】
[?〜810]平安初期の女官。種継の娘。娘が平城天皇の妃だったことから天皇の寵愛を受けたが、天皇譲位後、兄仲成らと嵯峨天皇を廃して平城上皇の復位を企て、失敗して自殺。→薬子の変
ふじわら‐の‐これちか【藤原伊周】
[974〜1010]平安中期の公卿。道隆の二男。父の死後、叔父の道兼・道長と権勢を争い、従者が花山法皇に矢を射かけたことなどにより大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷。のち許されて帰京し、大臣に...
やすはら‐ていしつ【安原貞室】
[1610〜1673]江戸前期の俳人。京都の人。名は正章(まさあきら)。号、一嚢軒など。松永貞徳の門人で、師の没後その正統を自任。編著「氷室守(ひむろもり)」「正章千句」「玉海集」など。
やそむら‐ろつう【八十村路通】
[1649〜1738]江戸前期・中期の俳人。姓は斎部(いんべ)ともいう。漂泊ののち芭蕉門下に入る。奇行が多く、同門の反感を買った。編著「俳諧勧進牒」「芭蕉翁行状記」など。