・・・それから、ナウムブルグやブラッセルを経て、ライプツィッヒを訪れ、千六百五十八年には、スタンフォドのサムエル・ウォリスと云う肺病やみの男に、赤サルビアの葉を二枚に、羊蹄の葉を一枚、麦酒にまぜて飲むと、健康を恢復すると云う秘法を教えてやったそう・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・続いて、足早に刻んで下りたのは、政治狂の黒い猿股です。ぎしぎしと音がして、青黄色に膨れた、投機家が、豚を一匹、まるで吸った蛭のように、ずどうんと腰で摺り、欄干に、よれよれの兵児帯をしめつけたのを力綱に縋って、ぶら下がるように楫を取って下りて・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 上って見ると鏡のように拭いた摺縁は歩りくと足の下がぎしぎし鳴る位だ、お町はやがて自分も着物を着替て改った挨拶などする、十になる児の母だけれど、町公町公と云ったのもまだつい此間の事のようで、其大人ぶった挨拶が可笑しい位だった、其内利助も・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・もっともこのかみ合わせがかなりぎしぎしときしるので、その減摩油としては行燈のともし油を綿切れに浸ませて時々急所急所に塗りつけていた。それで取っ手を回すと同じリズムでキュル/\/\と一種特別な轢音を立てるのであった。「みくり」を通過して平たく・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ただし、左の下あごの犬歯の根だけ残っていたのが容易に抜けないので、がんじょうな器械を押し当ててぐいぐいねじられたときは顎骨がぎしぎし鳴って今にも割れるかと思うようで気持ちが悪かった。手術がすんだら看護婦が葡萄酒を一杯もって来て飲まされ、二三・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・労れたるままに臥しまろびて足をひねりなどするに身動きにつれてぎしぎしと床のゆるぎたる心もとなき心地す。店の方には男の声にて兄さんは寐たりやと問う。この家に若き男もあらざれば兄さんとはわれの事なるべし。小娘の声にて阿唯といらえしたる後は何の話・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・その時足の下では、つぶやくようなかすかな音がして、観測小屋はしばらくぎしぎしきしみました。老技師は器械をはなれました。「局からすぐ工作隊を出すそうだ。工作隊といっても半分決死隊だ。私はいままでに、こんな危険に迫った仕事をしたことがない。・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 助手はぎしぎしその管を豚の歯の間にねじ込んだ。豚はもうあらんかぎり、怒鳴ったり泣いたりしたが、とうとう管をはめられて、咽喉の底だけで泣いていた。助手はその鋼の管の間から、ズックの管を豚の咽喉まで押し込んだ。「それでよろしい。ではや・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・本願寺の御連枝が来られたので、式場の天幕の周囲には、老若男女がぎしぎしと詰め掛けていた。大野が来賓席の椅子に掛けていると、段々見物人が押して来て、大野の膝の間の処へ、島田に結った百姓の娘がしゃがんだ。お白いと髪の油とのにおいがする。途中まで・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫