・・・ クララはいつの間にか男の裸体と相対している事も忘れて、フランシスを見やっていた。フランシスは「眼をあげて見よ」というと同時に祭壇に安置された十字架聖像を恭しく指した。十字架上の基督は痛ましくも痩せこけた裸形のままで会衆を見下ろしていた・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・五 人は相対界に彷徨する動物である。絶対の境界は失われた楽園である。 人が一事を思うその瞬時にアンチセシスが起こる。 それでどうして二つの道を一条に歩んで行くことができようぞ。 ある者は中庸ということを言った。多・・・ 有島武郎 「二つの道」
夫人堂 神戸にある知友、西本氏、頃日、摂津国摩耶山の絵葉書を送らる、その音信に、なき母のこいしさに、二里の山路をかけのぼり候。靉靆き渡る霞の中に慈光洽き御姿を拝み候。 しかじかと認められぬ。・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・…… 勿体なくも、路々拝んだ仏神の御名を忘れようとした処へ――花の梢が、低く靉靆く……藁屋はずれに黒髪が見え、すらりと肩が浮いて、俯向いて出たその娘が、桃に立ちざまに、目を涼しく、と小戻をしようとして、幹がくれに密と覗いて、此方をば熟と・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・我が勇しき船頭は、波打際の崖をたよりに、お浪という、その美しき恋女房と、愛らしき乳児を残して、日ごとに、件の門の前なる細路へ、衝とその後姿、相対える猛獣の間に突立つよと見れば、直ちに海原に潜るよう、砂山を下りて浜に出て、たちまち荒海を漕ぎ分・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ ただ二人、閨の上に相対し、新婦は屹と身体を固めて、端然として坐したるまま、まおもてに良人の面を瞻りて、打解けたる状毫もなく、はた恥らえる風情も無かりき。 尉官は腕を拱きて、こもまた和ぎたる体あらず、ほとんど五分時ばかりの間、互に眼・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ 面影も、色も靉靆いて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずから爪立たれた。 畳廊下を引返しざまに、敷居を出る。……夫人廟の壇の端に、その写真の数々が重ねてあった。 押絵のあとに、時代・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・母も夜時々眼をさましてみると、民子はいつでも、すくすく泣いている声がしていたというので、今度は母が非常に立腹して、お増と民子と二人呼んで母が顫声になって云うには、「相対では私がどんな我儘なことを云うかも知れないからお増は聞人になってくれ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・湖水を挟んで相対している二つの古刹は、東岡なるを済福寺とかいう。神々しい松杉の古樹、森高く立ちこめて、堂塔を掩うて尊い。 桑を摘んでか茶を摘んでか、笊を抱えた男女三、四人、一隅の森から現われて済福寺の前へ降りてくる。 お千代は北の幸・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶をした。「どうせ、丁寧に教えてあげる暇はないのだから、お礼を言われるまでのことはないのです」「この暑いのに、よう精が出ます、な、朝から晩まで勉強をなさって?」「そうやっていなけれ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫