・・・「常に孤独で居る人間は、稀れに逢う友人との会合を、さながら宴会のように嬉しがる」とニイチェが云ってるのは真理である。つまりよく考えて見れば、僕も決して交際嫌いというわけではない。ただ多くの一般の人々は、僕の変人である性格を理解してくれないの・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・私は蛞蝓に会う前から、私の知らない間から、――こいつ等は俺を附けて来たんじゃないかな―― だが、私は、用心するしないに拘らず、当然、支払っただけの金額に値するだけのものは見得ることになった。私の目から火も出なかった。二人は南京街の方へと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・それは東雲の客の吉さんというので、小万も一座があッて、戯言をも言い合うほどの知合いである。「吉里さん、後刻に遊びにおいでよ」と、小万は言い捨てて障子をしめて、東雲の座敷へ急いで行ッてしまった。 その日の夜になッても善吉は帰らなかッた・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・も一度逢うことは出来まいか。あの人車を引っ返させたい。逢ッて、も一度別離を告げたい。まだ言い残したこともあッた。聞き残したこともあッた。もうどうしても逢われないのか。今夜の出発が延ばされないものか。延びるような気がする。も一度逢いに来てくれ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・男子が如何に戸外に経営して如何に成功するも、内を司どる婦人が暗愚無智なれば家は常に紊乱して家を成さず、幸に其主人が之を弥縫して大破裂に及ばざることあるも、主人早世などの大不幸に遭うときは、子女の不取締、財産の不始末、一朝にして大家の滅亡を告・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・一通り中好くして睦じく奇麗に附合うは宜し。我輩も勉めて勧告する所なれども、真実親愛の情に至て彼れと此れと果して同様なるを得べきや否や。我輩は人間の天性に訴えて叶わぬことゝ断言するものなり。一 嫉妬の心努ゆめゆめ発すべからず。男婬・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・二人は内々恋で逢う心持をしていましたのね。本当にあの時は楽しい時でございました事。わたくし今だから打明けて申しますが、あの時が私の一生で一番楽しい時でございましたの。あの時の事をまだ覚えていらっしゃって。あなたのいらっしゃる時とお帰りになる・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・そう云う態度や顔に適っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様式によって、主人の趣味に合うように整頓してある。器具は特別に芸術家の手を煩わして図案をさせたものである。書架は豊富である。Bibelots と云う名の附いている小さい装飾品・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・荒海の怒に逢うては、世の常の迷も苦も無くなってしまうであろう。己はいつもこんな風に遠方を見て感じているが、一転して近い処を見るというと、まあ、何たる殺風景な事だろう。何だかこの往来、この建物の周囲には、この世に生れてから味わずにしまった愉快・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・彼がわずかに王政維新の盛典に逢うを得たるはいかばかりうれしかりけむ。慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御さきつかへてた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫