・・・甘い涙の飴を嘗めた勢で、あれから秋葉ヶ原をよろよろと、佐久間町の河岸通り、みくら橋、左衛門橋。――とあの辺から両側には仕済した店の深い問屋が続きますね。その中に――今思うと船宿でしょう。天井に網を揃えて掛けてあるのが見えました。故郷の市場の・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ わたしの考えには深田の手前秋葉の手前あなたのお家にしてもわたしの家にしても、私ども二人が見すぼらしい暮しを近所にしておったでは、何分世間が悪いでしょう、して見れば二人はどうしても故郷を出退くほかないと思います。精しくはお目にかかっての・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子の大洋傘に色・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・則深川仲町には某楼があり、駒込追分には草津温泉があり、根岸には志保原伊香保の二亭があり、入谷には松源があり、向島秋葉神社境内には有馬温泉があり、水神には八百松があり、木母寺の畔には植半があった。明治七年に刊行せられた東京新繁昌記中に其の著者・・・ 永井荷風 「上野」
・・・、料理屋を兼ねた旅館ではないかと思われる。その名前や何かはこれを詳にしない。当時入谷には「松源」、根岸に「塩原」、根津に「紫明館」、向島に「植半」、秋葉に「有馬温泉」などいう温泉宿があって、芸妓をつれて泊りに行くものも尠くなかった。『今・・・ 永井荷風 「里の今昔」
出典:青空文庫