出典:青空文庫
・・・不義を憎む事蛇蝎よりも甚だしく、悪政暴吏に対しては挺身搏闘して滅ぼさざれば止まなかった沼南は孤高清節を全うした一代の潔士でもありまた闘士でもあった。が、沼南の清節は袍弊袴で怒号した田中正造の操守と違ってかなり有福な贅沢な清貧であった。沼南社・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ちどころに言い返して勝てば、一年中の福があるのだとばかり、智慧を絞り、泡を飛ばし、声を涸らし合うこの怪しげな行事は、名づけて新手村の悪口祭りといい、宵の頃よりはじめて、除夜の鐘の鳴りそめる時まで、奇声悪声の絶え間がない。 ある年の晦日に・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・たちまちにして悪声が起こり、瓦石の雨が降った。群衆はしかしあやしみつつ、ののしりつつもひきつけられ、次第に彼の熱誠に打たれ、動かされた。夜は草庵に人々が訪ねて教えをこいはじめた。彼は唱題し、教化し、演説に、著述に、夜も昼も精励した。彼の熱情・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・勧業債券は一枚買って千円も二千円もになる事はあっても、掘出しなんということは先以てなかるべきことだ。悪性の料簡だ、劣等の心得だ、そして暗愚の意図というものだ。しかるに骨董いじりをすると、骨董には必ずどれほどかの価があり金銭観念が伴うので、知・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・狐は、私が動物園で、つくづく観察したところに依っても、決して狡猾な悪性のものでは無かった。むしろ、内気な、つつましい動物である。狐が化けるなどは、狐にとって、とんでも無い冤罪であろうと思う。もし化け得るものならば何もあんな、せま苦しい檻の中・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・ほんものの悪性の焔が、ちろちろ顔を出す。かたまった血のような、色をしている。茶褐色である。棘のある毒物の感じである。紅蓮、というのは当っていない。もっと凝固して、濃い感じである。いかにも、兇暴の相である。とぐろを巻いて、しかも精悍な、ああ、・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ 流感は初期にかかると軽いが後になるほど悪性だとよく人が云う。黴菌がだんだん悪ずれがして来て黴菌の「ヒト」が悪くなるせいでもなさそうである。 流行の初期に慌てて罹る人は元来抵抗力の弱い人ではないかと思う。そういう弱い人は、ちょっと少・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・犬の人にかみつきて却て夜を守らざるは、悪性の犬なり、不能の犬なり。然るに此悪性不能を牝犬の一方に持込み、牝犬の人をみ夜を守らざるは宜しからずとのみ言うは不都合ならん。牡犬なれば悪性にても不能にても苦しからずや。議論片落なりと言う可し。蓋し女・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・世の士君子、もしこの順席を錯て、他に治国の法を求めなば、時日を経るにしたがい、意外の故障を生じ、不得止して悪政を施すの場合に迫り、民庶もまた不得止して廉恥を忘るるの風俗に陥り、上下ともに失望して、ついには一国の独立もできざるにいたるべし。古・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 古来、暴君汚吏の悪政に窘められて人民手足を措くところなしなどと、その時にあたりては物論はなはだ喧しといえども、暴君去り汚吏除くときは、その余殃を長く社会にとどめることなし。けだし暴君汚吏の余殃かくの如くなれば、仁君名臣の余徳もまた、か・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」