・・・貧家に育てられたらしい娘は、わたくしよりも悪い天気や時侯には馴れていて、手早く裾をまくり上げ足駄を片手に足袋はだしになった。傘は一本さすのも二本さすのも、濡れることは同じだからと言って、相合傘の竹の柄元を二人で握りながら、人家の軒下をつたわ・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・げた裾から赤いゆもじを垂れてみんな高足駄を穿いて居る。足袋は有繋に白い。荷物が図抜けて大きい時は一口に瞽女の荷物のようだといわれて居る其紺の大風呂敷を胸に結んで居る。大きな荷物は彼等が必ず携帯する自分の敷蒲団と枕とである。此も紺の袋へ入れた・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 雨はようやく上ったが道は非常に悪い。足駄をと云うと歯入屋へ持って行ったぎり、つい取ってくるのを忘れたと云う。靴は昨夜の雨でとうてい穿けそうにない。構うものかと薩摩下駄を引掛けて全速力で四谷坂町まで馳けつける。門は開いているが玄関はまだ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 彼等は足駄を履いて、木片に腰を下して、水の流れる手拭を頭に載せて、その上に帽子を被って、そして、団扇太鼓と同じ調子をとりながら、第三金時丸の厚い、腐った、面の皮を引ん剥いた。 錆のとれた後は、一人の水夫が、コールターと、セメントの・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ところどころには湧水もあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄をぬいで傘と一緒にもって歩いて行きました。 まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁ってごうごう・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 秋雨の降っている或る日、足駄をはいてその時分はまだアスファルトになっていなかったその坂を下りて来た。悲しそうな犬の長吠えが聞えた。傘をあげて見たら、そこは、例のぶちまだらな犬のいる家の前で、啼いているのはほかならぬその犬なのだったが、・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・椽側に赤い緒の足駄と蛇の目が立てかけてあるのを見つけた。 それでも何の気なしに中に入るとうす暗い中に婆さんと向いあって思い掛けず娘が丸っこい指先で何かして居た。 仙二は二足ばかり後じさりした。 帰ろう! 稲妻の様にそう思う・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・総子は、不恰好な足駄の包や傘など一どきに抱えて立ち上り、「さ、これ」と云った。 他の者はもう寝ている。総子の部屋で茶をのみながら、なほ子は母の容体を話した。「それで?――誰かに診せたの」「まだ」「そんなことってあるも・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ロ/\と散る病葉の たゞその名のみなつかしきかな気まぐれに紅の小布をはぬひつゝ お染を思ふうす青き日よ泣きつかれうるむ乙女の瞳の如し はかなく光る樫の落葉よ蛇の目傘塗りし足駄の様もよし たゞ助六と云ふさへ・・・ 宮本百合子 「短歌習作」
・・・ 四 この時戸口で、足踏をして足駄の歯に附いた雪を落すような音がする。主人の飼っている Jean という大犬が吠えそうにして廃して、鼻をくんくんと鳴らす。竹が障子を開けて何か言う声がする。 間もなく香染の衣を・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫