・・・』『ああ、能う御座えますよ。』 二人はもう何も云う事がなくなった様に、互に顔を見てお居ででしたが、女の人は急に思出した様に、抱いて居た赤さんの顔を夫へお見せでして、『此子はお前さんの顔を覚えられねえけんど、お前さんは此子の顔を能く覚・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・――彼は、出来るだけ愉快な心持で善後策を講じる準備に、体は動せない代り、能う限り滑稽な話題で彼女を笑わせようとした。彼女は良人の仕うちが癪にさわり、憤りたいのだけれども、話されることが可笑しいので、笑うまい笑うまいとしてつい失笑するのであっ・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ アルゼンチンの国際ペンクラブの大会に藤村氏が出席したからには、能うかぎり進歩的効果のあげられることを、私たちはまじり気ない心持で希望している。柿本人麿の和歌を記念碑に刻んで来ることも一つの趣であろう。けれども、藤村氏は、どういう好尚か・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・そして、その真理は、只真理に憧れる事を知って居る霊のみが為し能う事なのだと云う事を、私共は忘れてはいけない。若し、子を産む事のみが結婚の全的使命であり、価値であるならば、或場合、非常に相互の魂を啓発し、よき生活に導き合った一対の夫婦が、一人・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・その点から見て、女性の手に成った文学的作品が、若し男性の手に成ったそれに比して常に第二流の芸術的価値ほか持ち得ないものとしたら、それはつまり女性が、人及び芸術家として、充分の創造をなし能う丈の人格も、生活をも持っていないと云う、一部の証言に・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・全体化観念に対して、民衆そのものの内的要因としての反動性と進歩性との相異をとらえ、同時に知識人の間に急激に生じている同様の分化の本質を理解し、その二つのものの結合、離反の作用に対して、世界史的見地から能うかぎり進歩的に処してゆくことが新たな・・・ 宮本百合子 「全体主義への吟味」
・・・ 幼年時代から、両親は彼等の能う最大限の愛と努力と研究とで、徐々に、一箇の人としての基礎を子供等に与えてやる。学校は、広い常識と箇々の性格による専門的傾向を暗示する。そして、或る者は丁年になった時を、或る者は専門教育を終了した時を、新た・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・又、親子の愛というものの固定的な宗教的でさえある評価の観念に対して、ストリンドベリーのように現実の錯雑を個人の生活経験の範囲で能うかぎりの仮借なさでむいて示した作家もある。 これらの人道主義的な個人主義的なヒューマニティの理解の時代は、・・・ 宮本百合子 「夜叉のなげき」
・・・外界の刺戟によって発動した自己の感激、意望というものを、一先ず、能う限り公正な謙虚な省察の鉄敷の上にのせ、容赦なく批判の力で鍛えて見る。いよいよこれに動きがないというところで、始めて主張するなら、飽くまでも主張するという、真に人をつくる練磨・・・ 宮本百合子 「われを省みる」
出典:青空文庫