・・・村夫子はなるほど猫も杓子も同じ人間じゃのにことさらに哲人などと異名をつけるのは、あれは鳥じゃと渾名すると同じようなものだのう。人間はやはり当り前の人間で善かりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑う。 余は晩餐前に公園を散歩するた・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・もう一つ困るのは、松山中学にあの小説の中の山嵐という綽名の教師と、寸分も違わぬのがいるというので、漱石はあの男のことをかいたんだといわれてるのだ。決してそんなつもりじやないのだから閉口した。 松山から熊本の高等学校の教師に転じて、そこで・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・この時ルーファスの次に座を占めたるウィリアムが「渾名こそ狼なれ、君が剣に刻める文字に耻じずや」と右手を延ばしてルーファスの腰のあたりを指す。幅広き刃の鍔の真下に pro gloria et patria と云う銘が刻んである。水を打った様な・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・われわれがこれを渾名してカッパードシヤといっている。何故カッパードシヤというかというと、なんでもカッパードシヤとか何とかいう希臘の地名か何かある。今は忘れてしまいましたが、希臘の歴史を教える時、その先生がカッパードシヤカッパードシヤと一時間・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・と親密な綽名で呼ばれた。キュリー夫人は戦争の長びくことが分るにつれ、あらゆる手段を講じて、官僚と衝突してそれを説得し、個人の援助も求めて自動車を手に入れ、それをつぎつぎに研究所で装置して送り出した。そのようにして集められた車は二十台あった。・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・「先ね、私が叔母の家へ行くときっと雨が降るんで、泣き娘って渾名つけられちゃったんです――それがなおったんですけれどね……」 私共は快く雨の夜景を眺め満足を感じつつ悠っくりそこに坐っていた。〔一九二六年九月〕・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・という家庭のアダナがついた。 十一月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より〕 この絵葉書をみたら、昔ここへ来た時のことを思い出し、空気のかわいたカランとした感じがとらえられていると思いました。 今日セルとメリンス・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 曾祖父は堀田の青鬼と綽名された槍術家だった由。息子は体が弱くて、父である青鬼先生に佐分利流の稽古をつけられて度々卒倒するので、これは武術より学問へ進む方がよかろうということになって、二十歳前後には安井息軒についていたらしい。やがて洋学・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・中学生は、工場に働く人々は、渾名をつけることの名人である。兵隊も渾名をつけることはうまい。どんなしかつめらしい髭を生やしていても彼等から渾名をつけられることは避けられない。渾名は大衆的な批判である。青年が渾名をつけることの名人であるという一・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・これはお爺いさんが為めにする所あって布団をまくるのだと思って附けた渾名である。そしてそれが全くの寃罪でもなかったらしい。 暮に押し詰まって、毎晩のように忘年会の大一座があって、女中達は目の廻るように忙しい頃の事であった。或る晩例の目刺の・・・ 森鴎外 「心中」
出典:青空文庫