・・・短い日が存分西に廻って、彼の周囲には、荒くれた北海道の山の中の匂いだけがただよっていた。 監督を先頭に、父から彼、彼から小作人たちが一列になって、鉄道線路を黙りながら歩いてゆくのだったが、横幅のかった丈けの低い父の歩みが存外しっかりして・・・ 有島武郎 「親子」
・・・天鵞絨のように滑かな空気は動かないままに彼れをいたわるように押包んだ。荒くれた彼れの神経もそれを感じない訳には行かなかった。物なつかしいようななごやかな心が彼れの胸にも湧いて来た。彼れは闇の中で不思議な幻覚に陥りながら淡くほほえんだ。 ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・台石から取って覆えした、持扱いの荒くれた爪摺れであろう、青々と苔の蒸したのが、ところどころむしられて、日の隈幽に、石肌の浮いた影を膨らませ、影をまた凹ませて、残酷に搦めた、さながら白身の窶れた女を、反接緊縛したに異ならぬ。 推察に難くな・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・二つのランプの光は赤くかすかに、陰は暗くあまねくこのすすけた土間をこめて、荒くれ男のあから顔だけが右に左に動いている。 文公は恵まれた白馬一本をちびちび飲み終わると飯を初めた、これも赤んぼをおぶった女主人の親切でたらふく食った。そして、・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・東京で十年間、さまざまの人と争い、荒くれた汚い生活をして来た私に較べると、全然別種の人のように上品だった。顔の線も細く、綺麗だった。多くの肉親の中で私ひとりが、さもしい貧乏人根性の、下等な醜い男になってしまったのだと、はっきり思い知らされて・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・軍部の煽動にのって若い女性が、明日にかくされている生活の破滅に向ってヒロイズムでごまかされないように、戦争的美名にかくされた資本主義の搾取の現実を見とおすように、荒くれたかぶった世間の気風のうちに、ひとすじの人間らしさと、その発展のための努・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
出典:青空文庫