・・・二階の窓からは、淡い火影がさして、白楊の枝から枝にかけてあった洗たく物も、もうすっかり取りこまれていた。 通信部はそれからも、つづいて開いた。前記の諸君を除いて、平塚君、国富君、砂岡君、清水君、依田君、七条君、下村君、その他今は僕が・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ 怪しき臭気、得ならぬものを蔽うた、藁も蓆も、早や路傍に露骨ながら、そこには菫の濃いのが咲いて、淡いのが草まじりに、はらはらと数に乱れる。 馬の沓形の畠やや中窪なのが一面、青麦に菜を添え、紫雲英を畔に敷いている。……真向うは、この辺・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・……小鰯の色の綺麗さ。紫式部といったかたの好きだったというももっともで……お紫と云うがほんとうに紫……などというでしゅ、その娘が、その声で。……淡い膏も、白粉も、娘の匂いそのままで、膚ざわりのただ粗い、岩に脱いだ白足袋の裡に潜って、熟と覗い・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・一樹が立留まって、繁った樫の陰に、表町の淡い燈にすかしながら、その「――干鯛かいらいし――……蛸とくあのくたら――」を言ったのである。「魚説法、というのです――狂言があるんですね。時間もよし、この横へ入った処らしゅうございますから。」・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・批評はほぼ同感であったが、私が日本の俗曲では何といっても長唄であると長唄礼讃を主張すると、長唄は奥さん向きの家庭音曲であると排斥して、何といっても隅田河原の霞を罩めた春の夕暮というような日本民族独特の淡い哀愁を誘って日本の民衆の腸に染込ませ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・いるような場合であっても見ている時は成程、其れによって、いろ/\なことを想像したりまた感興を惹かれたりしても、一たび外に出て冷やかな空気に触れゝば、つい、今しがた見たことが夢のように、もっと其れよりは淡い印象しか頭に残らないのであります。・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・が、私はそれよりも、沖に碇泊した内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって行くのを見やって、ああ、自分もあの船に乗ったら、明後日あたりはもう故郷の土を踏んでいるのだと思うと、意気地なく涙が零れた。海から・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・一つには、大阪で一番雑閙のはげしい駅前におれば、ひょっとして妻子にめぐり会えるかも知れないという淡い望みもあった。 ある日、いつものように駅前にうずくまっていると、いきなりぬっと横柄に靴を出した男がある。「へい」 と、磨きだして・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・ 武田さんが死んでしまった今日、もうその真偽をただすすべもないが、しかし、武田さんともあろう人が本当にあった話をそのまま淡い味の私小説にする筈がないと思った。「私」が出て来るけれど、作者自身の体験談ではあるまい。「雪の話」以後の武田さん・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・と思うほど淡いのが草の葉などに染まっていた。試しに杖をあげて見るとささくれまでがはっきりと写った。 この径を知ってから間もなくの頃、ある期待のために心を緊張させながら、私はこの静けさのなかをことにしばしば歩いた。私が目ざしてゆくのは杉林・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
出典:青空文庫